ショートケーキの食べ方
「もーらいっ」
淳子ちゃんはそういうと、わたしのお皿の上にあったイチゴにフォークをつきたてて、頬ばった。
「あ」
ショックのあまり、声がこぼれた。
そんなわたしをみて、淳子ちゃんもはっと気づく。
「もしかして、美智…最後に食べようとしてた？イチゴ」
うんと頷くと、淳子ちゃんはごめんと、大きな声で謝り始めた。
「ごめん、わたしてっきり美智が嫌いで残してるんだとばっかり…」
確かにわたしは嫌いな食べ物が多い。
なるべく避けるようにしてるんだけど、たまに出されてしまった時は、お皿の隅に申し訳なさそうに置いてしまう。
それでいえば、ついさっきまで食べていたショートケーキの上に乗っていたイチゴも、お皿の隅に置いていた。
だけどそれは、最後のとっておきとしてだった。
とっておきは、最後に取っておいた方が最後まで楽しめるから。
なのに。
「ごめん、美智」
「いいよ、淳子ちゃんも悪気があったわけじゃないし」
「じゃ、ケーキもう一つ頼もう？」
淳子ちゃんはそう言うと、振り返って店長にお願いしようとした。
ここのケーキ屋さんは、いつもなら淳子ちゃんがバイトをしてるところなのだ。
学校からも近いし、委員長のお菓子には劣るけどケーキは美味しいし、私もたまにここのケーキを買う。
髭の生えた店長の百嶋さんは、一見するとワイルドだけど、とても優しい人なのだ。
店長、と淳子ちゃんが呼ぼうとしたところで、わたしのお皿にコロンと赤い実が転がった。
イチゴだ。
「それじゃ、これはお店からのサービス」
「店長！」
と思わず淳子ちゃんがテーブルの脇に立つ百嶋さんに声をあげる。
百嶋さんはわたしににっこりと笑いかけてくれた。
「いつも淳子ちゃんがお世話になってるしね」
「ありがとうございます」
「だけど、なんだか美智子ちゃんらしいね」
突然そう言われて、わたしは戸惑う。
だけど淳子ちゃんはそんな百嶋さんの意見に賛成だったらしい。
「そういえば、そうかも。
大事なことを、一番最後に取っておくタイプってわけか」
「そんなこと―」
ない、という前に淳子ちゃんが意地悪く言う。
「だってまだ言ってないんでしょう？菊地君に」
そう言われるとわたしは何も言えなくなる。
委員長こと菊地光一君の秘密を知ったわたしは、その秘密を守るために彼と仲良くなった。
つまり、委員長の作るお菓子やお弁当を、私が作ったことにして差し入れたのだ。
それが周りの人からすると、つきあっているように見えたらしい。
わたしは委員長のことが好きだったけど、
委員長の気持ちはわからなくて、
それをはっきりさせようと、告白しようとしたのだけれど…。
『未来のお婿さんに、噂とは違ってた！なんて言われたくないんだもん』
『それじゃ、俺のところに嫁にくれば、俺が料理つくるから、美智が料理下手なことばれずずにすむよ』
あれからもう数カ月。
変わったのは、呼び方くらい。
委員長はわたしのことを、原田じゃなくて美智と呼ぶようになって、
わたしは委員長のことを、委員長じゃなくてコウくんと呼ぶようになった。
まだ慣れなくて、油断をすると委員長って言っちゃうけど。
その時のことを思い出していると、目の前で淳子ちゃんが大きくため息をついた。
「そりゃね、考えようによってはプロポーズともとれる言葉だけど、
美智は結局、好きだって言わなかったわけじゃない？
それにあの菊地君じゃない。
もしかしてもしかすると、責任感からそう言ってるってこともあり得るんじゃない？」
淳子ちゃんにそう言われると、そうも思えなくもない。
差し入れにわたしの名前を使うようにしたのも、委員長のアイディアだったのだ。
わたしの言葉を、そのまま受け取ってしまう可能性だってある。
淳子ちゃんは動揺してるわたしを見ながら、お皿にぽつんと残されたイチゴを指差して言う。
「ぼやぼやしてると、このイチゴみたいに誰かに取られちゃうかもしれないでしょ？」
大慌てでわたしはそのイチゴをお皿ごと引き寄せた。
それを見た目の前の淳子ちゃんが、ほらぁと言っている。
「そんなんじゃ、いつまでたっても気持ち伝わらないよ。
美智も変わらなきゃ。
タイミングなんて、自分でつくるものなんだから。
思い立ったが吉日っていうでしょ？今日もサッカー部は練習だから、戻ったら？学校」
追い立てられるようにして、坂を下り、学校に向かう。
確かに、タイミングがつかめないところは、直したいとは思ってたけど。
自分で掴めるものだったら、もうとっくにつかめてる気がするし。
遠くに見える海に、夕陽が沈んでいく風景はとてもきれいだったけれど、そう感じる余裕はわたしにはなかった。
委員長のことが、…あ、間違えた。
コウくんのことが、好きです。
好きです、好きです、好きです…。
いくら心の中でそう呟いて練習しても、気持ちは落ち着くどころか、逆に心臓がバクバク言い始めている。
気づいたらグランドからは、サッカー部の人たちの声が聞こえてきていた。
委員長、いるかなあ。
ドキドキする気持ちを抑えるように、わたしはよしっと気合を入れて、フェンス越しのグランドを見つめた。
中では所狭しとグランドを駆け回るサッカー部の人たちがいる。
だけどそこに、委員長の姿はない。
「あれ？原田さん？」
「ああ、大熊君」
中学校でも委員長の友達で、サッカー部だった大熊君は、そのまま高校も一緒になったのだ。
「えっと、委員ちょ…じゃなくて、コウくんは？」
すると、大熊君はとてもまずいという表情を見せた。
「いや、実は、さ。
…倒れたんだよね、コウ」
「え？」
倒れた？
委員長が？
大熊君は声を潜めてわたしに言った。
「とりあえず今は、安静が必要だからって保健室で横になってるけど、ちょっとやばいかも…あれ？原田さん？原田さーん？」
その後も大熊君が何か言っているのが聞こえたけど、わたしの耳には届かなかった。
委員長が倒れた。
あの委員長が。
貧血のわたしが倒れるのとはわけが違う。
元気で健康的なスポーツマンの委員長が倒れるなんて、
よっぽどなことだ。
安静が必要ってどういうこと？
ちょっとやばいってどういうこと？
…もしかして、委員長が死んじゃうってこと？
そう思うと、わたしの心臓はさらにバクバク言い始めた。
どうしよう。
もしも、委員長が死んだりしたら。
どうしよう。
二度と会えないことになったりしたら。
どうしよう。
「委員長っ、委員長っ」
大声をあげながら、わたしは保健室に入っていった。
夕陽の差し込む保健室には誰もいない。
その日差しを顔に受けて、委員長が横たわっていた。
閉ざされた瞼は、わたしの声を聞いても、まったく開く気配がない。
輝いていたはずの瞳の下には、ひどいクマがあった。
どうしよう。
委員長が、死んじゃうよ。
「お願い、死なないでっ」
わたしはそう叫ぶと、委員長の体に抱きついた。
自然とぽろぽろ涙が、こぼれては委員長の眠るシーツを濡らした。
「大事なこと、わたしまだちゃんと伝えてないっ。
委員長のこと、大好きだって。まだ伝えてないよっ」
「俺も」
わんわん泣き叫んでいるわたし声の隙間にぽつりと聞こえてきたその声に、
「へ？」
と、わたしは間抜けな声で返した。
すると、
「あーよく寝た」
と言って、委員長の体がうーんと大きく伸びをした。わたしはゆっくりと体を起こしながら考える。
さっきまで全然動かなかったというのに。
死にそうだったんじゃないの？
委員長は体を起こすと、大きな欠伸をした後で、独り言のように言った。
「やっぱり睡眠は大事なんだな。一日ほとんど寝てないと、流石に体がもたない」
にっこりと笑いかける委員長に、わたしは思わず聞いてしまう。
「…倒れたんじゃないの？」
やばいんじゃないの？
死にそうだったんじゃないの？
わたしの追求するような視線を受けて、委員長は少しばつの悪そうな顔で答える。
「倒れたというか、寝不足で、ふらついて、監督に練習休めって言われた」
「嘘」
思わずそう答えると、委員長はごめんと深く息を吐きながら言った。
状況がやっとわかってきたところで、最後の涙が遅れてほろりと流れる。
そこで、わたしははっと気づいた。
「あ」
頭の中で、記憶が巻き戻される。
『大事なこと、わたしまだちゃんと伝えてないっ。
委員長のこと、大好きだって。まだ伝えてないよっ』
委員長のこと、大好きだって。
大声で叫んだことも思い出して、わたしの顔は火がついたように熱くなった。
どうしよう。
どうしよう、どうしようっ。
とりあえず退散と、保健室を出ていこうとすると、誰かがわたしの手をぎゅっとつかんだ。
誰か、じゃない。
委員長だ。
委員長は、顔をそむけたままのわたしの手を、もう一度ぎゅっと強く、でも優しく掴むと、こう言った。
「ちゃんと伝わってるよ、美智の気持ち。
口にしなくても」
「あ、の…」
逃げ出したくても、委員長にがっちりと掴まれてるし、
嘘じゃないから嘘ですとも言えないし、
頭がパニックになりそうなわたしの耳に、委員長の優しい声が響いた。
「俺も、同じ」
「え」
頭が真っ白になる。
委員長、今なんて言った？
「美智に大事なこと、伝えてないままで、死ねない」
今、なんて？
慌ててくるりと振り返るタイミングで、委員長はわたしに向って伝えた。
「好きだ、美智のこと」
好きだ、美智のこと。
頭の中でその言葉を繰り返す。
そしてわたしは唐突にその意味を理解した。
委員長が、わたしのこと、好きだってこと。
俯いていた顔をあげると、委員長はまっすぐにわたしを見つめていた。
言わなきゃ。
ここで、言わなきゃ。
委員長がわたしを見つめる視線の中で、わたしはゆっくりと口を開く。
「…委員長、わたしも―」
「俺はもう委員長じゃないって」
…そうだった。
少しくじけてしまいそうになったけど、それでも委員長…コウくんの手がわたしの手を再びぎゅっと握る。
頑張って。
そう応援してくれてるのがわかった。
わたしは大きく深呼吸をする。
「…コウくんが、す―」
「ちょっと待った」
わたしの告白をまたも中断した委員長の声は、少し厳しかった。
何かまた間違えた？
そう思うわたしの前で、委員長は深いため息をついて口を開いた。
「大熊、西田。お前らいい加減にしろ」
少しして、わたしの後ろのカーテンが開く。
そこには大熊君と、同じくサッカー部の西田君がいた。
いつもと変わらない表情の西田君とは対照的に、大熊君はにやついた顔で言う。
「何だよ、いいところなのにさ」
「今は練習中だろう？さっさとグランドに戻れ」
冷たく言い放つ委員長に、大熊君は自信たっぷりに言い返す。
「お前だってひと眠りしたら練習に戻れって監督に言われてたじゃんか」
ひと眠り？
その言葉に、わたしは珍しく素早く反応した。
「…大熊君？」
どういうこと？
すると大熊君は顔の前で両手を合わせて謝った。
「あ、ごめん。原田さん。
さっきはちょっと大げさに言いすぎちゃって。
ただの寝不足らしくてさ、練習中にこいつ監督に怒られたんだよ。
それで―」
大熊君の言葉を聞き終わる前に、わたしは委員長の手を放すと、すたすたと保健室を出て行く。
「あ、美智―」
ドアが閉まる前に、そう呼びとめる委員長の声が聞こえたけれど、わたしは無視してドアを閉めた。
大熊君を怒ったからっていうんじゃない。
わたしの頭は、ショートしたみたいに、もう何も考えられなくなっていたのだ。
大きく息を吐いてドアにもたれると、そのままずるずるとわたしは床にうずくまった。
どういうこと？
大熊君たちは、わたしの様子をカーテンの向こう側でじっと見つめてたってこと？
わたしの勘違い告白も？
それから委員長からの告白も？
ああもう、考えたくないっっ。
ドアの向こうからは、心配そうな大熊君の声が聞こえてくる。
「もしかして原田さん、怒った？」
当然だというように、委員長が言う。
「当たり前だろう。知らないぞ、美智は怒ると怖いから」
「嘘だろう？え、どうしよう。俺」
おろおろという大熊君の声に、西田君が冷静に答えた。
「どうしようもねぇよ」
「西田ぁ。お前だって、楽しそうにしてたじゃんかよぅ」
「でも原田に嘘ついたのはお前だろう？」
「そんなぁ。助けてくれよ、コウゥ、西田ぁ」
情けない声をあげる大熊君の声を聞いて、わたしは思わずくすりと笑った。
でもすぐに声をあげたらここにいることがばれちゃうからと、慌てて口を手で押さえた。
その瞬間、かすかに委員長のにおいがした。
太陽と、汗と、土のにおい。
『好きだ、美智のこと』
委員長の言葉。
それを思い返してわたしは微笑む。
わたしも、大好きよ。
委員長のこと。
淳子ちゃんの言ったとおり、自分からタイミングを作れたとは思わないけど、それでも今日はちょっとは変われたように思う。
次こそは自分で、とは思うけど、正直自信はなかった。
でも、今度イチゴのショートを食べる時には、イチゴから食べてみようと、わたしは密かに決心した。