大事なモノの守り方

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　昼休み。
　ぼんやりしながら、グランドを眺めてると、気づくとあたしの視線は委員長に向っていた。委員長は、今日も爽やかにグランドを駆け回っている。息をはけば、空気が白くなる寒空の中を。
「委員長の好きな人って、誰だろう」
　温かい教室の中にいるあたしが、ぽつりと呟くと、隣にいた淳子ちゃんがとても驚いた表情で言った。
「美智、わかってないの？」
　ってことは、淳子ちゃんは知ってるってこと？
　あたしも驚いて聞き返すと、しばらくして淳子ちゃんはにんまりと笑った。
「もちろん。当然でしょ」
　あたしはとても鈍感だ。
　淳子ちゃんが寺原くんのこと好きなのも、淳子ちゃんの友達の美登里ちゃんに教えてもらうまで気づかなかったし、
　自分が委員長が好きだってことも、気づいてなかった。
　おまけに、いつも人とは違うことを感じる。
　人が、白だと思うことが、あたしには、赤にも青にも思えたりする。
　だけど、それは「あたしらしい」ってことだって、教えてくれたのは、他ならぬ委員長だった。
　誰？と淳子ちゃんに聞き返す前に、淳子ちゃんが笑ったまま、でもちょっと意地悪そうに答えた。
「見てれば、わかるよ」
　そういって、淳子ちゃんは自分の席に座って、マフラーを編み始めた。寺原君にプレゼントするらしい。
　見てれば、わかる、か。
　ため息をついてもう一度グランドを眺めると、委員長と目があった。
　委員長は爽やかな汗を拭うと、かるくあたしに手を振る。
　ちょっと来て、の合図だ。
　あたしは淳子ちゃんに、行って来ますというと、委員長との約束の場所に向った。


　淳子ちゃんが、寺原くんを好きなように、
　あたしも、委員長のことが好きだ。
　なんて言えるようになったのは、つい最近のことだけど。
　もやもやして、むずむずっとするような、それでいてほんわか心があたたかくなるこの気持ちが「好き」だと教えてくれたのは、委員長だった。
　菊地光一、それが委員長の名前。
　そして、その時、あたしは委員長にも好きな人がいるというのを教えられた。
　誰なんだろう。
　ずずぐろい、ぐるぐるした気持ちが、最近のあたしまわりでずっと渦巻いている。


　いつもの場所に、委員長はいつものように笑顔で立っていた。
「原田、ごめんな」
　その手に持つのは、甘いにおいのするお菓子。
　見た目はもちろん、味はどこのケーキ屋よりも、おいしいとあたしは思っている。
「今日のは何？」
「クッキー。イチゴジャムで、はさんでみた」
　じっと無言で委員長を見つめると、いつものように「いいよ」と言われる。
　手渡された包みを開けると、そこには赤いジャムを挟んだクッキーがたくさんあった。
　ぱくりと、と食べると、口の中に甘ずっぱい香りが広がった。
「おいしい」
「よかった」
　委員長は、サッカー部のキャプテンでもある。身長も伸び盛りで、結構筋肉だって、ついている。
　一方のあたしは、色白で胃下垂のせいで、太れない。貧血気味なせいもあって、見た目か弱い女子生徒。
　残念だけど、それは見た目だけ。
　きっと今、この瞬間を見た人がいたら、あたしが委員長にクッキーを差し入れたんだと思うんだろうな。
　だけど、本当は、作ったのは委員長だ。
　いつも温和な委員長だけど、それなりにストレスも抱えるらしく、そのはけ口になるのが、月に２・３回のお菓子作り。しかもそれが、とてもおいしい。
　だけど、これは委員長とあたしの秘密。
　もとはこのこと知るサッカー部の大熊君から、この事実がばれたら、頑張ってきたサッカー部の士気が下がるという理由で、委員長は初め、お姉さんの手作りだといって、サッカー部に差し入れしてたそうだ。
　だけど、お姉さんが結婚して北海道に言ったから、今ではあたしがサッカー部に差し入れしてるということになっていた。
　お菓子を作った次の日、委員長はこうしてあたしを、こっそり部室の裏に呼び寄せて、あたしにお菓子を渡す。そしてその日の放課後、あたしはサッカー部に我が物顔でそのお菓子を持って現れる。
　それが、あたしと委員長の秘密の約束。
「それじゃ、今日もよろしくな、原田」
　すがすがしい笑顔で委員長はそう言って、グランドに戻っていく。
　あたしは頷いたけれど、なんだか胸が苦しかった。



　委員長に頼まれて、あたしはこうして差し入れの代理人をするようになると、みんなはあたしと委員長が付き合ってるんだと言いはじめた。
　あたしは面倒くさがりで、しかも極度の人見知りで、口下手で、だから弁解しなかったら、それは本当のことのように学校中に知れ渡っていた。
　委員長も違うとは言わないから、あたしは、サッカー部に美味しい差し入れを持っていく甲斐甲斐しい彼女、という目で見られるようになった。
　だけど、本当は違う。
　お菓子を作ってるのは、委員長で、あたしはクッキーすら美味しく作れないし、
　あたしは委員長のことが好きだけど、委員長には好きな人がいるのだ。
　つきあってるわけじゃない。
　みんなの思うあたしと、ほんとうのあたしが違うってことには慣れてたはずだったけど、最近はだんだんとため息の数が増えてきていた。



　それにしても、委員長の好きな人って？
　淳子ちゃんは、見てればわかるって言ってたけど。
　グランドに向って走り出した委員長のうしろ姿を見ていると、どこからともなく、菊地くーん、と委員長の名前を呼ぶ女の子が現れた。委員長も足を止め、声のした方に笑顔を向ける。
　駆け寄って行ったのは、うちのクラスの副委員長の野際さんだ。
　野際さんは、すごく面倒見のいい女の子だ。
　しかも、ハキハキしてて明るくて、小麦色の笑顔がかわいい女の子。
　おまけに、サッカー部のマネージャー。
　そこまで考えて、あたしははたと気づいた。
　爽やかな委員長に、笑顔の素敵な副委員長の野際さん。
　弱小チームを県の大会ベスト8まで押し上げたサッカー部キャプテンの委員長に、
　爽やかな汗と太陽と、ジャージの似合う、マネージャーの野際さん。
　いくら鈍感なあたしでもわかる。
　王道のカップルだ。
　つまり、委員長の好きな子は、野際さん。
　淳子ちゃん、そういうこと？



　ようやく気づいてしまった真実は、あたしを打ちのめした。
　午後のホームルームの時間。
　黒板の前に立つ二人の姿は、確かにお似合いのカップルだ。
　ぐいぐいクラスを引っ張る委員長。
　それをさりげなくサポートする野際さん。
　赤いユニホーム姿の委員長に、
　同じく赤いジャージを着る野際さん。
　クラスでも、
　部活でも、一緒の二人。
　ぼんやりしてるあたしは、委員長にいつも助けられてばかりだし、
　白い肌と細い腕に、ジャージはとてもじゃないけど似合わない。
　あーあ、何で気づいちゃったんだろう。
　あたしはため息をつくと、机に顔をうずめた。



「美智、帰ろう」
　放課後、淳子ちゃんがそういったけれど、あたしは断った。
「ごめん、今日はサッカー部に寄るから」
「ああそっか。それじゃね」
　差し入れをする日は、委員長があたしを家まで送ってくれることに、いつの間にかなっていて、それを知ってる淳子ちゃんは、いつも先に帰るのだ。
　いつもだったら、うきうきしてるあたしだけど、今日ばかりは、そうもいられなかった。
　だって、野際さんだもん。
　お似合いなんだもん。
　はぁ、とため息をついて、それでも委員長から渡された包みを手にする。委員長との約束の通り、それでもあたしはサッカー部に行かなきゃいけない。
　立ち上がると、ガラガラと教室の扉が開いて、噂の野際さんが顔を出した。
「原田さん？」
　野際さんはジャージ姿。何か忘れ物をしたのかもしれない。
　だけど、ふいにあたしの持っている包みに気づいてあたしに聞いた。
「今日も？」
「うん」
　ふーんと言いながら、野際さんはあたしを見つめる。
　じっと。
　意味もなく不安になると、野際さんがにやりと笑ってこう言った。
「ね、それ、本当に原田さんの手作り？」
　え？
　驚いたあたしが何も言わないでいると、今度はいやに優しそうな表情に変わる。
「知ってるんだ。あたし。本当は、違うって」
　野際さんはそう言いきっていた。
　ああ、野際さんは知ってるんだ。
　委員長の秘密。
　だけど、どうして知ってるの？
「どう、して」
　不安に思いながらも、ようやく乾いた声でそういうと、野際さんは急に意地悪く笑ったのだ。
「やっぱり。おかしいと思ったんだ。
　だって、菊地君のお姉さんのお菓子と同じ味なんだもん」
「嘘、ついたの？」
　こういうことを、鎌をかける、というんだろう。
　そう思うのと一緒に、あたしの胸はドキドキ言い始めていた。
　ごめんなさい。委員長。
　委員長との約束、やぶってしまった。
　野際さんはいつも教室で見せてる笑顔とは全然違う、意地悪い顔のままに言う。
「嘘ついてるのは、原田さんの方でしょう？
　どうやって取り入ったのかしらないけど、菊地君のお姉さんが作ったお菓子を、まるで自分が作ったように我が物顔で差し入れて、
　付き合ってもいないのに、菊地君の彼女面して。
　いい人ぶって、大嘘つきじゃん」
　ぐさぐさと野際さんの言葉が、そのままあたしの心に刺さる。
　だけど、あたしは何もいえない。
　野際さんは、あたしが委員長のお姉さんのお菓子を、自分が作ったものだって言ってると思ってるみたいだったから、それは違う、といえないこともなかったけど、
　それは委員長が、ずっとお菓子を作り続けてたってことを教えてしまうことになるかもしれないし。
　黙りこむと、鼻がつんとした。
　思わず顔をふせると、野際さんの声がいくらか柔らかくなる。
「黙っててあげてもいいよ」
　だけど、と野際さんは続ける。
「だけど、二度と菊地君には近づかないで」
　その言葉に、あたしは二つのことを思った。
　ひとつは、野際さんも委員長のことを好きだってことを。
　もうひとつは、これは断れないことなんだってことを。
　だって、あたしは委員長との約束をもう野際さんにばらしてしまったし。
　そして、何より嘘をついていたのは、本当だったから。
　こくんと頷こうとすると、また教室の扉がガラガラと開いて、ユニホーム姿の委員長が顔を出した。
「原田？」
　それから、委員長は、振り返った野際さんに気づく。
「野際、忘れ物？」
「うん。そう」
　野際さんは手早くそういうと、自分の机の中から何かを取り出した。
　委員長は、その脇をすり抜けて、あたしの前に立つ。
「原田、悪いな、今日。遅くなりそうなんだ。
　だから先に―」
「ごめんなさい…」
　委員長の言葉を最後まで聞かずに謝ると、委員長は、え？と言った。
　どうしたの？といつものように言う前に、あたしはもう一度思い切り叫んで、それを最後の言葉にしようとした。
「ごめんなさいっ」
　教室から出て行こうと走り出したあたしを、委員長が呼び止める。
「待って、原―」
「行くことないよ、菊地君」
　教室に野際さんの声が響いて、あたしは思わず足を止めていた。
「そんな嘘つきな子の言う事、信じることないよ」
「原田が、嘘つき？」
「菊地君は騙されてるの。
　あの差し入れのお菓子、原田さんが作ったんじゃないんだよ」
「知ってる」
　あまりにも委員長がすんなり答えるから、あたしも野際さんも、え、と声をあげて委員長のほうを見る。委員長は、堂々と言った。
「俺が頼んで、原田の名前を借りたから」
　困ってしまったのは、野際さんだった。
「でも、お姉さんと同じ味が―」
「だから、それも嘘なんだ」
　野際さんのあたまは、その一言で真っ白になってしまったらしい。
　珍しくぼんやりした顔で、真面目に委員長に聞き返した。
「…どういう、こと？」
「俺が作ったんだ」
　野際さんの口が、ぽかんと大きく開いた。
　委員長はそれでも淡々と話す。
「初めて作って、サッカー部に持って行った時、大熊に頼まれた。
　キャプテンの趣味がお菓子作りなんて知ったら、部員が皆ついてこないから、せめて姉の手作りってことにしてくれって。その姉が、結婚して北海道に行くことになったから、今度は原田に頼んで名前借りた」
　嘘。
　と、たしかに野際さんは言ったけど、その声は音にならずに、消えていく。
「信じられないんなら、それで構わない。
　だけど、嘘つきだと原田のこと責めるなら、違う。
　嘘つきなのは、原田じゃなくて、俺だから」
　その委員長の言葉が引き金になったように、野際さんはあたしを突き飛ばして教室を出て行った。
「野際さんっ」
　思わずそう叫んだけど、野際さんの足は止まることなく、廊下にはぱたぱたという騒がしい足音が響く。
　あたしは思わず振り返った。
「委員長、追いかけなくていいの？」
「どうして」
「だって野際さん、誰かに話しちゃうかもしれない」
「いいんだよ。もう」
「よくないよ、それに野際さんも、きっと委員長のこと好きなんだよ」
　すると、委員長は小さくため息をついた。
「野際は関係ない。
　それより俺は、原田のが大事だから」
　え、と言って、あたしは思わず委員長の顔を見つめる。
　委員長は、ゆっくりとうなづいた。
「ちょうど良かったんだよ。これで。
　原田だって、最近つらそうだったし」
　気づいてたの、委員長。
　ごくりと唾をのみこむあたしに、委員長は優しく言う。
「前にも言ったけど、趣味がお菓子作りだってわかったから、部員が誰もついてこないようじゃ、本物じゃないんだって。
　それに、原田傷つけてまで、貫く意味はないから」
　そのすがすがしい笑顔に、嘘も、見栄もない。
　だけど、でも。
「…あたし。やっぱり野際さんに謝ってくる。
　このままだと野際さん、誤解したままだから」
「誤解？何を？」
　きょとんとしてる委員長に、あたしは戸惑いながら答えた。
「え、だって委員長。野際さんのこと、好きなんでしょう？」
「誰が言った？」
　誰って…。
　振り返る。
　けれど、淳子ちゃんは、野際さんだと言ったわけじゃなかった。
　ただ、『見てればわかる』って言っただけ。
「誰も…」
　くすくすと委員長は笑う。
「原田って、おっとりしてるのに、結構早とちりするよな」
　つまり、委員長の好きな人は、野際さんじゃなかったのだ。
　恥かしさで顔を赤くすると、
「けど、そういうところ、原田らしい」
と委員長がフォローしてくれる。
「ごめんなさい」
「だから謝るとこじゃないって。俺、原田のそういうところ好きだし」
　そうは言っても、この勘違いのおかげで、あたしは今までたくさんの友達を傷つけてしまったのだ。
「そう言ってくれるのは、委員長くらいだよ」
　しゅん、としてそう答えると、ふっと委員長が笑いながら吐息をはく。
「やっぱり、原田だな」
「え？」
　あたしがそう聞き返すと、委員長はにっこり笑って、なんでもないよ、と言った。


　結局、委員長の好きな人が誰なのか、あたしにはわからなかったけど。
　でも、もやもやと悩まされることは無くなった。
　それは、お菓子作りの嘘をつかなくてもよくなったってこともある。
　でも、それより何より、あたしの気持ちに委員長が気づいていてくれたことが、嬉しかった。
　あたしの方が、大事だって言ってくれた委員長。
　やっぱり、委員長は、委員長だと思う。
　あたしの、大好きな、委員長。



　次の日も、寒い空の下、委員長がグランドで駆け回っている昼休み、あたしと淳子ちゃんはぬくぬくとした教室にいた。
「それでわかった？菊地君の好きな人」
　淳子ちゃんが編み物から目を話さないでそう聞いてくる。あたしは、いつものように、窓の外に見えるグランドを見下ろしていた。
「ううん。でも、もういいんだ」
　あっさりそういうと、淳子ちゃんは一瞬だけ、編み物から顔を上げた。
「美智らしいや」
　前までは、この言葉を聞くたびに、悲しい気持ちになったけど、
　委員長が、そういうところが好きだと言ってくれたところなのだ。
　あたしは、あたしらしさを、そうして大事にしようと思った。
　…え？
　そういうところが、好き？
　慌てて椅子から立ち上がったあたしに、淳子ちゃんが驚いて言う。
「どうしたの、美智。顔、真っ赤だよ。風邪かなあ」
「…ううん。なんでもない」
　まさか、と思った。
　でも、とほんのちょっとだけ思った。
　それから、いやいやまさか、と考えて、
　それでも、もしかして、と思った。
　もしかして、委員長の好きな人って…？
　わからなくて、あたしはひとり、首を左右にふる。
　本当のことは、きっと、委員長が知っている。
　いつか、聞こう。
　ううん、今度一緒に帰るときに、言おう。
　まずは自分の気持ちから。
　あたしは、委員長が大好きです、って。