二人のジンクスの作り方
ゆっくりと上がっていく観覧車を見上げながら、人だかりの出来たメリーゴーランドの前のベンチでアイスクリームを一口食べると、わたしはぽつりと呟いた。
「ごめんね」
「どうして」
驚いたようにコウくんが言う。
「だって、せっかく遊園地来たのに、観覧車乗れなくて」
もっと言えば、
せっかくサッカー部の練習がお休みという休日に、
電車で一時間近く乗った場所にある遊園地まで来て、
この遊園地の名物で、
おまけにコウくんがチケットを渡してくれた時に乗ろうと言った観覧車に、
一時間近くも並んだのに、その直前になって、
「やっぱり無理」
なんて言って、
本当に本当にごめんなさい。
ということになる。
「別に謝ることない」
落ち込むわたしに、コウくんはサラっと言うと、わたしのアイスと一緒に買ったジュースを一口飲んでから、くすりと笑って言った。
「だけど、意外だったな。美智が、高所恐怖症でもないのに観覧車苦手だなんて。ジェットコースターは大丈夫なのに」
「昔ね、揺れないって聞いてたのに、すごい揺れる観覧車に乗って、酔ったことがあるの。
たぶん乗れないことはないと思うんだけど―」
でも、いざ乗ろうと思ったら、膝がガクガク震えてしまった。コウくんが驚いて、わたしを支えてくれたけど、真っ青な顔のわたしは、やっぱり観覧車には乗ることができなかった。
「まあ、仕方ない」
わたしを気遣ってなのか、コウくんがそう言う。
遊園地が大好きなわたしにとって、観覧車に乗れないのは、いつもとっても憂鬱なことで、
だからこそこの観覧車であれば、そして相手がコウくんだったら、きっと克服できるはずだって思っていたのに。
期待していた分、わたしの落ち込みは激しい。
「乗りたかったな。せっかくの休みに来たんだから」
正確には、乗れなかったのはわたしのせいで、せっかくの休みはコウくんの休みなんだけれども、わたしはまるで駄々っ子のようにそう呟いた。
「また次がある」
コウくんはサラっとそう言う。
ってことは、あのジンクスをコウくんは知らずに、観覧車にわたしを誘ったのか。
そう思うと、更に気持ちが落ち込んだ。
わたしがこの観覧車にこだわるにはいろんな訳がある。
そもそも、最初にこだわったのは、淳子ちゃんだ。
「知ってる？美智。あそこの観覧車、すっごいジンクスあるんだって」
そう言って教えてくれたのは、恋する女の子にとっては、何としても実行したい話だった。
「観覧車の天辺で、キスしたカップルは永遠に結ばれるんだって」
ちなみに、淳子ちゃんのお友達のお姉さんの知り合いが、そのジンクスを実行して、なんと来年には結婚するのだという。
「行くっきゃないでしょ？美智もさ、菊地君誘って」
淳子ちゃんは高校に入ってからもいくつか恋をした。いくつかは実らなかったけれど、付き合って二ヶ月になる今の彼とは、
「運命の相手って感じ」
ってくらい、フィーリングが合うのだそうだ。
運命の相手なら、そんなジンクスに頼る必要ないんじゃないの？ってのは、すごく幸せな子が思うことだと思う。
わたしはそんな風には思えない。
転校先の学級委員長だったコウくんのことは、中学の頃から好きで、最近ようやく両想いだってことがわかったけれど、それでもよく不安になる。
コウくんの夢は大きくて、それに向かって一生懸命頑張っている。なのにわたしは夢さえなくて、ちっぽけな人間に思えて、だからこの先もずっと一緒にいられるのかと思うと、すごくすごく不安になるのだ。
だから、この観覧車にかけてみようと思った。
苦手な観覧車も、コウくんと永遠に結ばれる為なら、乗れるはず。
そう思ってたのに…。
ゆっくりと回っている観覧車を見上げてふぅと小さくため息をつくと、コウ君がわたしの顔を覗き込んで言った。
「アイス、溶けるぞ」
あ、とわたしは慌ててアイスを食べる。そんなわたしを見て、コウくんはくすくすと笑った。
自信に充ち溢れている笑顔。大好きだけど、少し羨ましい。
コウくんは、何でもできる。勉強も、サッカーも、お料理も。ルックスもいいし、人望も厚い、非の打ちどころのない人だ。
だからきっと、何かに頼らなくても、自信満々に生きていけるんだって思う。
羨ましい、けどわたしには、できない。
お守りや、ジンクスや、そういうのに頼らないとやっていけない。
溶けかかったアイスを食べ終わると、わたしは空を見上げるようにして目を閉じているコウ君に尋ねた。
「サッカーの試合の時、ジンクスってあるの？」
コウ君は、うーんと唸ってから、
「スパイクは左から履くとかって、よく西田は言ってるよ」
とチームメイトの西田君の話を持ち出した。西田君は、冷静沈着な人だから、ジンクスとか神様とか、信じない現実主義者だと思っていたから、ちょっと意外。
人は見た目にはよらないってことなのかなあ。
まあ私も、薄倖の美少女なんて言われてるけど、実際には日焼けできなくて胃下垂で太れない、貧血気味の人見知りなだけだし。
ってことはもしかして？
そう思ったわたしは、それじゃあ、と勢い込んで聞いた。
「委員長…コウくん、は？」
するとコウくんは腕組みをしてうーんと唸った。
「うーん。けど、ジンクスって作り出すものだろ？あまり気にしてないから、そういうこと」
ああ、やっぱりコウくんはそうなんだ。
ジンクスなんて信じてるのは、わたしの方だけで、
いつも不安なのはわたしの方だけで、
永遠に結ばれることを望んでいるのは、わたしだけ…。
さすがにそこまで考えると、観覧車を見上げる気力すらなくなって、テーブルの上にだらっと両腕を投げ出して、その間に頭を埋めた。
「いいなあ、淳子ちゃん」
きっと今頃は、観覧車の天辺で彼と仲良くキスして、永遠に結ばれているはずだ。
わたしの呟きを聞いたコウくんが、
「横浜にも小さな観覧車があるから、今度はそこに行ってみるか」
と珍しく言ってくれた。
横浜だったら、凪浜からも近いし、遅くまでやってるから、練習の後でも行けるかもしれない。
だけどね。
コウくん。
「…そういうことじゃ、ないんだよ」
独り言のように呟く。
だけどその時上がった目の前にあるメリーゴーランドに集まった人たちの歓声で、今の独り言はきっとコウくんには届かない。
きっとわたしが不安だっていうことも、コウくんには届かないのだ。
その時、遊園地中に大きくゴーンという鐘の音が響いた。
「三時の鐘だ」
「え」
思わずわたしが顔を上げると、コウくんが何か言っているのがわかった。
だけど、鐘の音と、メリーゴーランドの歓声がにわかに大きくなって、その声をかき消す。
なに？
そう聞こうとした瞬間、コウくんはわたしの肩を掴んで、自分の方に向かせると、さっとわたしにキスをした。
その時、あれだけうるさかった歓声がわたしの頭の中から一気に消えた。代わりに聞こえてきたのは、ドキドキというわたしの鼓動。
だけどそれは一瞬のことで、コウくんがすっとわたしから離れると、その歓声はまたわたしたちを取り囲んでいた。
そう言えばこのメリーゴーランドは、屋根の部分に大きな時計があって、一時間ごとに小さな小人の人形が出てきてはくるくると踊るのだが、三時のダンスは
格別で、王子とお姫様まで出てきて盛大にダンスをするのだ。だから人が集まっていたんだと、気付いたわたしの耳元で、コウくんが囁く。
「それじゃ、午後三時の鐘と同時にキスしたカップルは永遠に結ばれるってジンクス、どうかな」
知ってたの？と思わず口に手を当てると、コウくんが目の前で、もちろんと笑った。