「わぁ。ねえ、メリーゴーランドがあんなに小さいよ、右京」
　さっきまで乗っていた乗り物が小さくなっていくさまに萌子は声を上げたが、正面にいるはずの右京からは何の返事もない。
「右京？」
　名前を呼び、視線をやると、右京は腕組みをした状態で、小さい寝息をたて眠っていた。
　萌子は小さくため息をつく。
　観覧車に乗って、まだ三分と経っていないというのに。
　熟睡しきっているのか、右京は萌子の視線に気づくことなく、柔らかに肩を上下させている。
　その様子を見て、萌子はふっと膨らませた頬を緩ませる。
　でも、これでも進歩した方だよね。
　右京にとっては。
　


　久しぶりの休日に、遊ぼうと言いだしたのは、いつもの通り理香だ。
　もらった遊園地の優待券がたくさんあるからと、部員達に声をかけた。
　集まったのは、いつものメンバー。
　チケットが一枚残ったこともあり、篤志は右京にダメもとで声をかけた。
　渋る右京を、連れて来たのは萌子だ。
　無理やりもあってか、右京はアトラクションを尽く断った。仕方なく萌子は、無理やりにジェットコースターに乗せたけれど、帰ってきた時の右京はいつにもまして無言で青白い顔をしていた。それを見て思わず萌子は笑い声を上げた。
　単に右京は、乗りものが苦手だったのだ。
　青白い顔で萌子を軽く睨む右京に、どれだったら乗れるのかと聞くと、観覧車という。
　そうして今、二人は観覧車に乗っている。



　毎日、朝から晩まで練習で、
　昼間は学校の授業で、
　週末は、練習試合で遠征に、
　たまにユースの合宿も入る。
　右京が疲れていることは、誰もがわかっていることだった。
　そんな中でも、無理やり連れ出されたとはいえ一応やってきた右京は、入学当初の人を寄せ付けなかった張りつめた空気が、いくらか和らいだように思える。
　そして、それがプレーにもつながっていると、萌子は感じていた。
　だから、少しくらい寝ても仕方ないか。
　萌子はそう思って、窓の外に目をやった。


　それにしても、いい景色。
　青い空に浮かんだように思えるゴンドラの下には、ミニチュアになってしまったアトラクションが見える。
　晴れの休日とあって、遊園地は混んでいた。
　特にカップルが多いのは、この遊園地が恋人たちにとっていわくつきの観覧車だからだ。
　観覧車の天辺でキスしたカップルは、永遠に結ばれる。
　恋人達はそのジンクスを信じて、この観覧車に乗りこむ。
　萌子にも、その気持ちはわからなくもない。
　見えない何かを信じるのは、とても難しい。
　もしそれが何か形になっていれば、それを信じることの方が、まだ簡単だ。
　高く上がるにしたがって、僅かだが遠くに海も光り輝いて見えて来た。
「綺麗…」
　小さくそう呟いた次の瞬間、ドカッと音がして、座っていたベンチに衝撃があり、気づけば萌子の背後には右京の足が無造作に置かれていた。
　起きたのかな、とその造り物のように整った顔を見つめたけれど、その瞳が見開くことはない。
　どうやら、無意識のことらしい。
　確かに、身長が伸びる一方の右京の長い脚は、この観覧車ではどこか窮屈そうだった。
　右京は寝相が悪いという話を聞いたことを思い出し、萌子は小さくため息をついて立ち上がると、そのまま右京の隣に座る。この方が、まだ蹴られずに済みそうだ。
　僅かに観覧車が傾いたようにも思えたけれど、相変わらず右京の目が開く気配はない。
　そういえば、理香も篤志とうまくやってるのかしら。
　今回の企画も、理香がジンクスを耳にしたことから始まったことなのだ。
　聞きつけた理香が、必死になってタダ券を探したというのを知っているのは、おそらく萌子と美都くらいであろう。
　そういう美都も、絶対にこの観覧車に和美と乗ると話していた。
　並んでいる時もそう。周囲のカップル達は、みなそわそわして、浮足立っていたり、緊張している様子が伝わってきていた。
　あの様子だと、みんな観覧車に乗っている間ずっと、ドキドキしてるんだろうな。
　萌子がそう思った時、肩に何かがトンと置かれる。
　やっと目が覚めたのかと顔を向けようとすると、すぐ頬にさらさらとした感触があり、そこにあるのが右京の顔だと気づいた。
　どうやら眠りが深くなり、萌子につい寄りかかってしまったようだ。
「右京？」
　声をかけてみたけれど、返ってくるのは安らかな寝息ばかりで、起きる気配は到底ない。
　その顔を覗き込むと、長いまつげが深い影を頬に落としている。
　陶器のようにつるんとしたその肌には、窓から差し込む日差しが、優しく照らす。
　これが恋人同士だったら、怒鳴り込むところかもしれないけど。
　自分と右京には、こういう時間が似合ってるように思う。
　ほっと一息つけるような、安らぎの時間が。
　だから。
　そう思いながら萌子は、吐息を吐きながら、そっと心の中で呟く。
　もう少し、このままで。