Maybe Blue
友近家家訓
凪浜高校での試合には、生徒の他に、必ずといっていいほど地元の商店街の人が応援にやってくる。それは、公式戦でも、練習試合でも関係ない。
特に今日の練習試合は、神奈川県の四強の一角、箕輪高が相手ということで、校庭は大賑わいだった。その中を、一人萌子は走っていた。
箕輪の選手が捻挫をしたということで、石橋が萌子に職員室の氷を持ってくるようにと言ったのだ。人ごみをすり抜けて走る萌子は、角を曲がったところで、突然現れた人影に思わずぶつかってしまった。
「わっ」
相手は大きな声を上げて、尻もちをつく。萌子も思わず地面に転がった。
「すみません」
慌てて立ち上がり、手をさし伸ばそうとするが、その隣から別の手が合計で四本差し出され、よっこいしょの掛け声と共にぶつかった女性は引き上げられた。
年は、萌子の母親と同じくらいだろうか。
彼女を助けたのは、同じ年くらいの年配の男性と、萌子より上級生くらいの男子、中学生風の女の子、それから小学生の男の子の計四人だった。
「いえ、こちらこそ、ぼけっとしてたものだから。ごめんなさいね」
女性はそういうと、スカートについた土を払う。
家族そろって応援かな。
萌子がそう思ってると、その中の女の子が小さくため息混じりに言う。
「まったく母ちゃんはおっちょこちょいなんだから」
やっぱり家族なんだと萌子が思っていると、ふいに後ろから知朗の声がした。
「おい、萌子。あ」
あ？と思わず萌子が振り返ると、今度は背中から五人の声が一斉にした。
「知朗」
呼ばれた知朗は、半分あきれたような顔をしている。
そういえば、どことなく顔つきが似てる。ふいに倒れた女性が萌子を見つめて尋ねた。
「もしかして、あなた、沢木萌子ちゃん？」
「はい」
途端に五人は萌子に頭を下げる。
「噂はかねがね知朗から聞いてます。知朗の母です」
「父です」
「兄です」
「妹です」
「弟です」
萌子が唖然としていると、
「なにしに来たんだよ」
とその隣に知朗がやってきて言った。すると五人が同じ顔でにこっと笑って言った。
「試合見に決まってるでしょう」
試合は、三対０で、凪浜高校が勝利した。
その余韻に酔いしれて、校歌を歌いながら帰っていく応援の人の中で、萌子は知朗の家族を見つけて駆け寄ると、両親ともに萌子に気付いた。
「わざわざ遠くまでいらしてくださったんですね」
知朗の実家は、凪浜から電車だと二時間かかる場所である。練習試合の為に、ほぼ半日を潰して、友近一家は応援に来たのだ。
「うちはね、みんなサッカーが大好きなのよ」
知朗の母親がそういって、隣で父親が笑っていた。少し先では知朗の兄弟も、楽しそうに話している。
その温かい笑顔に、萌子は少しだけ嫉妬めいた感情を覚える。
家族、か。
いいな。
校門が見えたところで、足を止めた萌子の後ろから、知朗の大きな声が聞こえてきた。
「母ちゃん、父ちゃん。何してんだよ」
「あら、知朗」
どことなく不機嫌に思えるのは、知朗が結局のところ試合に出場できなかったからかもしれない。しかも、今日の試合で、知朗とポジション争いをする太田がハットトリックを決めてしまったものだから、知朗としては、大きく溝をあけられた形になっていた。
ふてくされたように腕を組んだ息子の肩を、ぽんぽんと叩いて父親が言う。
「ちょうどいいところに来た。うまいもん食って帰ろうかと思ってんだが、お前もどうだ？」
「お、行く行く！」
途端に威勢よく飛び跳ねた知朗の影から、知朗の母親が顔をのぞかせて萌子に言った。
「萌子ちゃんも、せっかくだから、一緒にどう？」
いただきますの大合唱と共に、友近家の食事が始まった。
「全然遠慮しないでね」
目の前の円卓には、所狭しとばかりに中華料理が並べられている。それを友近家の六人が我先にと箸を伸ばし、また勢いよく円卓を回していた。
「はい」
笑顔で答える萌子に、隣でエビチリを食べる友近家の次男坊・知朗が言う。
「つーか、遠慮してると、なくなるぞ、萌子」
だが、目の前の料理の量は十人分は優にありそうなくらい、多い。
冗談でしょと笑顔を向ける萌子に、知朗の母親が言う。
「ほんとよ、萌子ちゃん」
そのとき、長男・新が大きな声で、ご飯のおかわりを頼んだ。
まだ食事が始まって、五分と経っていない。
「は、はあ」
萌子がそう答える横で、知朗までもがおかわりを頼んでいた。
もともと、体格の割には食べる方だとは思っていたものの、そんな知朗の食欲も、友近一家の前ではごくごく普通に思える。
何よりもすごいのが、食事をしながらも、会話を軽快なテンポで進めていることだった。
口火を切ったのは、長女・ゆえと、三男・温行だった。
温：「そういや、今日の相手チームのキーパー、名前なんつったっけ？」
ゆ：「漆原？」
温：「そうそう、そいつ。姉ちゃんよく名前覚えてるな」
ゆ：「まあね。それにニキビ多かった」
新：「お前はそんなとこしか見てないのかよ」
ゆ：「何よ、新兄こそ、応援の女子ばかり見ててさ」
新：「何言ってんだよ、そんなことねぇだろ」
父：「けど、かわいい子が多いな。凪浜高校は」
ゆ：「ちょっと父ちゃんまでっ」
温：「よかったなあ、知兄。姉ちゃん」
知：「関係ねぇよ」
ゆ：「ちょっと、温行。知兄はともかく、なんであたしまで」
温：「第一志望、凪浜高校にしなくてよかったな、ってことだよ」
ゆ：「ちょっとそれ、どういう意味よ」
温：「だってかわいい子だらけだとさ、姉ちゃんなんて相手にされなくなるだろ？」
ゆ：「なんですってぇ」
新：「ま、お前の頭じゃ普通に入れないしな」
ゆ：「何よ！新兄までっ」
母：「こら、ゆえ。座りなさい。
萌子ちゃんがびっくりしてるでしょ」
そこで友近家の視線は、萌子に集中する。ご飯を食べようとして、その勢いに圧倒され、春巻きを箸で捉えたまま一口も食べていなかった萌子は、そこでようやく口を開いた。
「…いえ」
「つーか萌子、食えよ」
知朗がそう言って、萌子がようやくその口を開けたところで、今度は母親が萌子に話しかける。
母：「それにしも、萌子ちゃんってべっぴんさんね」
萌：「いっいえ、そんなことー」
父：「知朗もいい趣味してるな。俺に似たのかな」
母：「あらやだ、父ちゃんてば」
新：「てかさ、別に知朗の彼女じゃねんだろ？」
知：「うるせーな。新」
ゆ：「そうよ、知兄にはもったいないもん」
知：「黙れ、ゆえ」
ゆ：「べーだっ」
知：「このくそ妹っ」
ゆ：「何よっ」
母：「これゆえ、やめなさい。海老を投げないの。食べ物をおもちゃにしちゃいけません」
ゆ：「だって、知兄ってば福山さんとこに連れてってくれないんだもん」
知：「そんなのてめーで行け」
ゆ：「ひっどーい。こんな純でシャイな妹に」
温：「どこがだよ」
ゆ：「あ、言ったわね。温行」
母：「知朗も、ゆえも、温行もっ。座りなさい。萌子ちゃんの前で」
知・ゆ・温：「…はい」
時間にして、一分もない。
だが、その一分の間に、喧嘩が始まり、そして終わった。
その勢いに、圧倒された萌子がまだ一口もご飯を口にしていないことに気づいたのか、知朗の母親は、炒飯を取り分けると、さっと萌子に差し出した。
「ほら、萌子ちゃん、食べて食べて」
「は、はい」
途端に、友近一家全員が萌子の前に、それぞれ食事を盛った皿を差し出してくる。
瞬く間に、萌子の周りはおいしい匂いが充満していた。
最後に、溢れんばかりに餃子を乗せた皿を置き、知朗の母親が言う。
「あ知朗のことなら、気にしないで。じゃんじゃん振ってやってちょうだいな」
合わせるように父親が言った。
「男はふられて何ぼだからな」
そして知朗以外の友近一家は、大きな口を開けてハハハと笑った。
凪浜高校前の駅まで送ったところで、知朗の母親はここで充分だと言った。
「それじゃね、萌子ちゃん。
今日は、ありがとう。
知朗は、もっとサッカーに精進しなさいね」
ふてくされた顔で、知朗が答える。
「わかってるよ、うっせーな」
「すねるな、知朗。日々是精進だ」
「今度の試合、楽しみにしてるからさ、知兄」
「今度は福山さん紹介してね」
「それじゃ俺は凪浜の女子高生」
「新兄がそうなら、俺は中等部の生徒」
「てめーら、勝手にやってろっ」
そう知朗が怒鳴ったところで、電車がホームに入ってきた。
見送りが終わると、萌子は知朗の後について、海にやってきていた。
夕焼けを背にして、海は人影もまばらに、夜を迎える前の静寂さが漂っていて、先ほどの騒がしさが嘘のように萌子は思えていた。
「…楽しそうだね、知朗の家」
「うるせーだけだ」
面倒くさそうに知朗が答えるが、萌子は小さく首を振り、言う。
「でもなんか、何でも話できて、いい。
家族って感じがするもの」
海風に髪を靡かせ、知朗は萌子の顔をのぞき込むように答える。
「兄弟が四人もいてみろ。隠し事なんかしてらんねぇぞ。
例えば、テストで零点取っても、その日の夜には皆が知ってて、ネタになるし。
授業中に先生に怒られたのだって、すぐにばれるし。
夕飯だって、遠慮してたら1番食べたい物なんか、誰かが食べる。
ほしい物はほしいといって、先に言わなきゃ、やってらんねぇぜ」
「ふーん」
「それに、悩み事あっても、六人もいりゃ、なんとかなるし。
だから何でも話すし、言いたいことは言う。
父ちゃんがよく言うんだ。
強く願う事は、口にしなければ叶わないって」
「口に？」
萌子が知朗の顔を見返すと、知朗は夕焼けに顔を赤く染めて答えた。
「そ。
どんなに無理に思えても、強く願って、口にして、やることやってりゃ、本当に叶う」
そう言うと、知朗は突然海に向って一歩すすみ、大声で叫んだ。
「俺は絶対に、選手権で優勝してやるぞっ」
どんなに無理に思えても、
強く願って、口にして、
やることやってれば、
本当に叶う。
実際に、知朗は人一倍負けず嫌いだし、誰に対しても平等な態度で臨み、言いたいことは言う。
それを生意気だと言う部員もいるが、知朗が人知れず努力をしていることを、萌子は知っていた。
「叶うよ、知朗なら」
萌子がそう言うと、知朗が振り返った。
海風に躍らされた髪の奥からは、そのつぶらな瞳が、じっと萌子を見ていた。
突然、正面を向いて、また知朗は叫ぶ。
「萌子っ、大好きだーっ」
「ちょ、ちょっと知朗」
慌てて萌子は辺りを見回す。
防波堤のところに、人影が見えたが、気づかなかったようにして、海に向って歩き出している。願わくば、見知らぬ人であってほしいと思う萌子の隣で、知朗は大きく伸びをして、ふーと深呼吸をした。
「あー、すっきりした」
半分呆れ顔をしている萌子に、だが知朗は最高の笑顔を向ける。
「言いたいときに言いたいこといわねーと、なんかこう腹んなか、むずむずして気持ち悪いだろ？
ほら、萌子も叫べよ。結構すっきりするぜ」
とんっ、と背中を押された萌子は、自分の向いにある海と夕陽を見つめた。だが、そう言われてすぐに言葉が出てくるわけではない。
「国立競技場で、絶対にゴール決めてやるっ」
ふいに、萌子を後押しするように、そう知朗が叫ぶ。
つられたように萌子も叫んだ。
「凪浜高校、ファイト！」
知朗の言う通りで、そういうと、萌子は心がすっきりした。と、同時に想いがこみ上げ、萌子は気づいたら、また叫んでいた。
「いつか、いつか。
国立に行きたいっ」
「おっしゃ」
萌子は振り返り、そう言った知朗を見つめた。知朗は、海から視線を萌子に移すと、にこっと笑って、はっきりと言った。
「萌子の願い、俺が絶対叶えてやる」