「萌子、乗ろうぜ」
　久しぶりの休日、理香の提案で、萌子たちいつものメンバーは、遊園地にやってきた。
　萌子、理香、美都のマネージャー三人と、
　成、湊、厳己、ケン、知朗、右京の寮生六人、
　そして、篤志と和美の二人。
　同じサッカー部に所属はするものの、それぞれに個性豊かなメンバーが集まって、
　結果、現地集合、現地解散方式になった。
　萌子は理香や篤志たちをいくつかの乗物に乗っていたところ、いきなり現れた知朗に手を引っ張られた。
「乗るって何に？」
「あれだ」
　知朗の指さすその先を見上げると、大きな観覧車がある。
　だけどその観覧車は、理香が最後の最後に並んで乗ろうと言っていた今日のメインイベントだ。
「え、でも」
「時間がないから、急げって」
　知朗は小柄とはいえ、力は普通の高校生以上にある。
　身長が足りない分は、筋力で勝負というわけだ。
　焦った萌子が振り返ると、理香が小さく手を振って、後でね、と口元で言っていた。



「すんません、ごめんなさい」
　萌子の手を引きながら、そう言って知朗は人込みをかき分けて前に進む。
　先を越されたカップルたちが、明らかに不服そうに知朗と萌子を睨む。
「知朗ってば、ちゃんと並ばなきゃ」
　そう萌子が言っても、知朗は無視して先を進む。
「いいの、いいの。
　あ、すみません。ようやく連れてこれました」
　先頭まで来たところで、知朗が係りの人にそう言った。係りの人は顔見知りなのか、知朗を見つめると大きくため息をついて、空になった観覧車のドアを開ける。
「仕方ないっすね。どうぞ」
　思わず次が自分たちの番というカップルが口をはさんだ。
「ちょっと、こっちが先に並んでたんだけど」
　しかしそれに、知朗はにやりと笑って答える。
「悪いけど、俺、もっとずっと前から並んでたんだ。悪ぃな。おい、萌子」
「え、ちょっと―」
　知朗に引っ張られるままに、萌子が観覧車に乗りこんだところで、ドアがパタンと閉まる。
　ドアの向こうには、それでも納得がいかないと言う顔のカップルが、萌子たちを睨んでいた。



「いいの？あんなことして」
　上がり始めた観覧車の中で、萌子は正面に座り、ウキウキしている知朗に言うが、
「いんだよ。俺、ほんとにここに三時間も並んで、何人もの客を先に乗せてたんだからさ。あの係員とはすでに交渉済みってわけ」
と返された。なるほど、それであの溜息か、と思う萌子だが、それでも自分たちを睨んできたカップルのことを思うと、はいわかりましたとは答えづらい。
「でも―」
「どうしても、この時間に、お前と乗りたかったんだ。この観覧車に」
　そう言われて、思わず萌子はドキッとした。
　その言葉に、理香の話を思い出したからだ。
『この観覧車ね、ジンクスがあるの。
　天辺でキスしたカップルは、永遠に結ばれるんだって』
　理香もそれを狙って、今回の休みに篤志を連れ出してきたらしい。
　そのジンクスは、美都も知っていて、ずっと来たかったと話していた。
　有名なジンクスならば、知朗も知っているのかもしれない。
　その上で、萌子と一緒に乗りたかったというのであれば、その目的は一つだ。
　でも、知朗に限って。
　萌子は目の前で子供のように楽しそうに目をくるくると動かしている知朗を見つめた。
　知朗の気持ちは十分に知っている。
　そして、その気持ちに答えられない自分の気持ちも知っている。
　だが、知朗は、そんな萌子の気持ちを見透かしたままで、萌子のことを好きだと言う。
　萌子の答えと、自分の気持ちは関係ないのだと言うのが知朗の持論だが、
　それでも萌子は時にそこに甘えている自分自身にいらっとすることがある。
　いったい、自分は知朗とどうなりたいというのだろうか。
　そして、知朗も、どうしていきたいというのだろうか。
　―おい、そういうことは、まずお前が決めるべきだろ？
　ふいにそういう知朗が頭をよぎる。
　知朗なら、きっとそういうはずだ。
　流されるんじゃなく、まず自分の気持ちに正直に生きろ、と。
「あのね、ともろ―。
　っ、何？」
　口を開きかけた萌子の眼を、突然知朗が両手でふさぐ。
「いいから、このままで黙ってろって」
　顔に知朗の息がかかり、距離が近いのがわかる。
「黙ってろって言われても」
「いいから、あと一分くらい我慢してくれ」
「一分？」
　一分後に何があると言うのだろうか。
　暗闇の中で萌子は考える。
　もしかして、観覧車が天辺に差し掛かる頃なのだろうか。
　そう思うと、萌子も穏やかではいられない。
「っでも、知朗―」
「いいから黙ってろ」
「黙ってって言われて、黙っていられないわよ。だって―」
「もう少しの我慢だって」
「我慢とかじゃなくて、やっぱりよくないと思うの、こういう―」
　こういう相手の気持ちを無視したことって、と言い終わる前に、突然知朗の手が離れる。
「…わ」
　暗闇の次に萌子の眼に映ったのは、知朗のアップではなく、綺麗な夕焼けの空だった。
「綺麗…」
　高いところからの景色だから、視界を遮るものは、他にない。
　心の奥がじんわりとあたたかくなるようなその空に、萌子は感嘆のため息をつく。
　すると、いつの間にか隣に座っていた知朗が、自慢げに口を開いた。
「だろ？
　この景色お前に見せたくて、俺ずっと並んでたんだぞ」
「ありがとう」
　知朗の顔を見てそう答えると、知朗は少しだけ照れ笑いを浮かべながらも、最後にはじろりと萌子を睨むように見つめた。
「へんな誤解すんなよな」
「…ごめんなさい」
　萌子の言葉に当然だとでも言うように、知朗は大きく頷いてから、萌子に向き直って真剣な表情で言った。
「見くびんなよな。
　俺はお前の気持ちを無視したようなことはしないし、
　ジンクスなんかにも頼らない。
　お前は、俺だけの力で振り向かせてみせる」
　甘い愛のささやきではないけれど、その言葉は萌子の心に深く刺さり、背筋をぴんと伸ばす。
　知朗と、この先どうなっていくのか、それはわからない。
　今わかっていることといえば、生半可な気持ちで、知朗に応えてはいけないということ。
　その方が却って、知朗を傷つけると言うこと。
「わかった。
　ありがとう、知朗。
　夕焼け見せてくれて」
　萌子の言葉に、知朗はその日一番の笑顔を見せた。