これって、どっち？
　目の前に、ひとつのプレゼントを置いたまま、早坂成は頬杖をついて、じっとそのプレゼントを見つめていた。

　今日は、二月十四日。
　つまりは、聖バレンタイン・デー
　目の前に置かれているのは、隣のクラスの女の子からもらったチョコレート。
　それが、「本命」なのか、「義理」なのか。
　それをずっと彼は悩んでいた。

　姉ちゃんからとか、母親からもらうのは義理。
　それから、チロルチョコいっことか、
　いかにもおまけに買いました、ってのも義理。
　そのくらい、小学四年生の成にもわかる。

　だが、これが、
　隣のクラスの女の子で、
　たまに廊下ですれ違うときに目が合うだけで、話したこともなくて、
　なのに今日突然、隣の女子たち三・四人と一緒にやってきて、
　ばたばたと成にチョコを渡していった。

　長谷川ひとみ。
　長くてストレートな黒髪の、隣のクラスの女子の名前。
　成の目の前に置かれた、チョコレートの贈り主。

　ただの義理チョコ？
　それとも？

　弾む胸は、期待でふくらむ。

　本命だったら、
　そうだったら。
　ぼくらは、両想いだ。



「なにやってんの？成」
ふいに声をかけられて、慌てて顔をあげると、高校から帰ってきた姉が成とチョコレートを見つめていた。
「あ…」
　成は慌てて目の前のチョコレートを、自分の膝の上へと隠す。姉はそれに気づきながらも、テーブルの脇に無造作に置かれたその他のチョコを手に取る。
「なぁに？あんたまたチョコいっぱい貰ってきたの？
　まったく、どうしてモテるんだか」
　ひとつ、ふたつを数え、姉は十五、と呟いてから、すばやく成の膝から悩めるチョコレートを取り上げて、十六と言った。
「へぇ？これだけ、別なの？どうして？好きな子から貰った？」
　答える前に顔が真っ赤になってしまい、慌てて成は姉からそのチョコレートを取り返し、珍しく言い返した。
「ねぇちゃんはどうだったんだよ」
　昨日の夜、徹夜しながらも姉が手作りチョコを頑張って作っていたことを成は知っていた。その成果は？と思った成を思いきり姉はにらみつけた。
「うるわいわねぇっ」
　どうやら駄目だったらしい。
　聞くんじゃなかったかな。
　少し落ちこんだ成を無視するように、姉は成が脇に置いていたチョコレートの箱を開け始めた。そして、一緒に入っていた手紙を読み上げる。
「『早坂くん、かっこいいから好きです、つきあってください』だってさ、どうするの？あんた」
「…つきあわないよ」
　恥ずかしそうに言った成に、ふぅんと姉は返事をする。
「あ、そう。
　あんたどうせアレルギーで食べれないんだから、このチョコレートは、あたしが食べてあげるね」
　幸か不幸か、成はチョコレートを食べると、鼻血はもちろん、蕁麻疹が出てしまって、体中が痒くなる。だから、このチョコレートたちも、成にとってはまさに『拷問』のようなもので、結局毎年姉の圭子のお腹に納められるのであった。
　でも、どうしても渡したくないチョコレートがある。
「ねぇちゃん」
「何？」
　姉は、チョコレートをほお張りながら、成を見返す。
「どれが義理で、どれが本当か、わかる？」
　は？というように、姉が成を見つめ返した。
「あんた、そんなのもわかんないの？鈍感ね。
　それで、どうしてこんなにモテるんだか」
　姉はそう呟くと、脇に置かれていたチョコレートをひとつひとつ取り上げて説明した。
「これは、本命。手作りだし、凝ってる」
　ラッピングから丁寧なハート型のチョコレート。
　ええと五年生の女の子だ。
　名前は忘れちゃったんだけど、つきあってってゆってたな。
「これは、義理。いかにも、だけど」
　東急ハンズとかで買った、ウケ狙いのチョコレート。
　クラス委員の篠原の、だったよな。
　クラスの皆にこのチョコレートあげてた。
「これも、本命。ひゃー、こんなプレゼントまでっ」
　姉がそういって、マフラーを成に見せる。
　隣のクラスの、近藤だ。
　たしか近藤って毎年チョコくれるんだ。
姉は、手作りのラッピングを開ける。チョコレートは、手作りの丸いチョコが三つだった。
「あ、これは義理」
「義理？手作りなのに？」
　驚いて成が声を上げると、まあねぇと姉が説明をしてくれる。
「手作りだけど、かたちが変でしょ？これは綺麗なのを本命に上げてるからで、これはおまけ。ダミー」
　クラスメートの斎野のチョコだ。
　たしかに、斎野は湊に告白したらしいし。
　やっぱねぇちゃんだ。
　全部当たってる。すげぇ。
　成が感心して姉を見ていると、その隙に成の懐から、姉は例のチョコレートを取り上げてしまった。
「で、これが問題の彼女の」
「あっ」
　成の一生懸命伸ばした手を、するりと交して、姉は楽しそうに中を開けていく。
「へー、手作りみたいね」
　だったら、やっぱり『本命？』
　でもそう思った成に、さっき姉が言っていた、
『本命のためのダミーのチョコレート』
　という言葉が過る。
　ねぇちゃんの答えを聞こう。
「ふーん」
　しかし、姉はそう答えると、なるほどねぇと呟きながら、答えを出さない。
　待てなくなって、成が尋ねる。
「どっち？」
　じろりと自分を見た姉と目が合う。
　ちょっとして、姉が答えた。
「食べてみればわかるわよ」
　そして姉は、そっと成にチョコレートを差し出す。
「その子が本当にあんたのこと大好きだったら、きっとアレルギーでないから」



　毎年、バレンタインの日、早坂家にはシュークリームの匂いが充満している。
　それは「チョコを食べたくても食べれない成を労わる」ためらしい。
　だが、今年はその匂いが充満することも、
　成がシュークリームを口にすることもなかった。

　姉の圭子が、その夜、友達の家から戻ってくると、入れ替わるようにばたばたと慌しく母親が家を出ていくところだった。母親は、圭子を見つけると、まず怒鳴りつけた。
「圭子っ、あんたっ、成にチョコ食べさせたの？」
「だって食べたいっていうんだもん」
「だもんじゃないでしょうっ、もう蕁麻疹出て大変だから、これから病院行って来るわ。家の戸締り頼んだわよ」
　はぁい、と答える圭子の声と同時に、家のドアがバタンと閉まった。


　朝の下駄箱で成がうわばきに履き替えていると、親友の和泉湊が声をかけてきた。
「おはよ、成。大丈夫か？蕁麻疹」
「うん。もう平気」
　成は一昨日の夜に出てしまった蕁麻疹のおかげで、昨日学校を休んだ。
　いちおう、事情は湊には伝えてあった。もともと、湊は成のチョコレート・アレルギーを知っていたから、特に聞き返されることもなかった。
「あ、長谷川だ」
　ふいに湊がそう言って、思わず成も顔を上げる。
　長谷川ひとみは、自分のクラスの前で、友達と話をしていたが、成に気づくと、少し頬を赤らめて、かるく頭を下げた。だが、成はそれを無視するようにして、自分の教室に入る。びっくりしたように、湊が追いかけてきて、成に言った。
「どうしたんだよ。長谷川からチョコ貰ったんだろう」
「へ？え？何で、それ…」
　成が湊に話したのは、ただチョコレートを食べて、蕁麻疹が出た、ということだけである。驚く成に、湊はさらりと答える。
「クラスの女子が噂してた」
　そして、昨日の電話で、成は湊もちゃんと彼女の木田からチョコレートを貰った話を聞いていた。
　いいな、湊は幸せで。
「義理だよ、義理チョコ」
　だって、蕁麻疹が出たんだ。
　長谷川のチョコは、義理ってこと。
　つまり、ぼくらは両思いじゃなかったんだ。
　ふーんと答える湊の声が、成は、やけに羨ましかった。



　その日もサッカー部の練習はあって、掃除当番だった成は、下駄箱で慌てて靴には着替えていた。すると突然下駄箱の陰から、早坂くん、と話しかけられた。顔を上げると、そこにひとみが立っていた。
「ごめんなさい」
「え？」
「チョコアレルギーって知らなかったから、バレンタイン」
　気のせいか、目に涙を溜めているようにも成には見えた。
　でも、ぼくたちは両思いでもなんでもない。
「…ああ、いいよ。別に。義理チョコだったんだろ？」
「え？」
「別に大丈夫だから」
　そう、全然平気なんだ。
　成は、靴に履き替えて、うわばきを戻す。そのとき、ただ黙って横に立っていたひとみがふいに口を開いた。
「…あの、義理じゃないんだけど」
「え？」
　思わず成は上履きを落としていた。
「本命チョコ…なの」
　ひとみはそういって、顔を赤らめて俯いた。
　え？え？え？
「え？けっけど、ねぇちゃんが、本命チョコだったらアレルギーでないって…」
「え？あたしの食べてくれたの？」
　驚いたひとみが顔を上げる。
「あ、うん」
　二人の目が合った。
　ふたりとも、真っ赤な顔をして、慌てて、俯いた。
　成は自分の心臓がばくばくいっているのを感じていた。
　こんなこと、サッカーの時にもなかったのに。
　成が、落ちた上履きを拾っていると、ひとみが小さな声で言った。
「…クッキーは、大丈夫？」
「うん。甘い物は、好き。シュークリームとか。だけど、チョコだけ駄目なんだ。蕁麻疹出るから」
「それじゃ、今度は、クッキー作ってきてもいい？」
　ひとみの声が、明るくなった。成は、少し照れながら、力強く頷く。
「…うん」
　ってことは、つまり。
　ぼくたちは、
　ぼくたちは―。
　グランドの方から、成の名前を呼ぶ湊の声がした。練習が始まるのだ。ひとみは、手を上げて、小さくばいばいと振る。
「それじゃ」
　くるりと振りかえったときに、ひとみの長い髪が靡いて、成は思わず声をかけた。
「あ、長谷川…」
　ふりかえったひとみに、成ははじめて笑いかけながら話す。
「ありがと、チョコレート。
　嬉しかった。すっげぇ」
　ひとみの笑顔を見ながら、成は思う。
　チョコレートは、本命で、
　つまり、
　ぼくらは、両思いだ。