今年のクリスマスイブは、ありきたりだけど萌子と過ごしたい。
　いつもは一緒にいられないぶんだけ。
　二人だけで、ゆっくりと。
　そう思っていた朔哉の一途な願いを打ち砕いたのは、環の一言だった。
「クリスマスパーティー、やろう。
　寮で、部員とか呼んでさ」
　どうやら環は失恋したらしく、一人でイブを過ごすのが嫌で、寮を巻き込もうとしているようだ、というのが弟である篤志の話。
　たしかに、ここ数日の環の機嫌はすこぶる悪く、酔っぱらっては、誰かに絡む。
　ちなみにこれは、環が失恋した時のいつものパターン。
　そして、そういう時の環には、逆らわない方が身の為というのも、サッカー部の決まりごとの一つだった。
　実際、環に向って反対したケンの頬には、見事に青いあざができている。おかげで、クリスマスイブに恋人の亮子とのデートは取りやめになったらしい。
　それでも、それなりに楽しそうだけどな。
　朔哉はひとり、壁に寄りかかりながら、楽しそうに部屋の中央で成や湊たちと話をしているケンを見ながらそう思った。
　萌子はというと、その隣で、知朗と樹生の言い争いを止めている。
　小さくため息をつこうとすると、一年の青山望が声をかけてきた。　
「朔哉さんって、やっぱりすごいですね」
「ん？」
　どういう意味だ？と望を見返すと、望はついさっきまで朔哉が見ていた方向に視線を向けた。
「萌子さんのこと」
「萌子？」
　萌子は相変わらず知朗と樹生の間に立ち、それぞれの言い分を聞き、宥めているようだ。
　望は大きく頷くと、朔哉がつけずにいたため息をついてから、口を開いた。
「だって今日はクリスマスでしょう。僕だったら、好きな人を独り占めしたいから、きっと嘘をついてでも欠席するし、
　それができなくても、彼女が自分以外の男と話してるの見るのも嫌だし。…正直不安だし。
　だけど、朔哉さんは、それでもキャプテンだからって、公平な立場でいられる…。
　すごいです。尊敬です」
　目をキラキラさせてそう話す望を見て、朔哉はくすりと笑って尋ねた。
「気になる子、いるのか？」
　瞬く間に望の顔が赤くなる。
「えっ？！い、いやっ、そういうわけじゃ…」
「いても、マネージャーやるような子じゃ無理だな」
　赤い顔が、一瞬にして白くなる。
「…ですよね」
　はぁと小さなため息。
　もしかしたら、気になる子はどこかの部のマネージャーなのかもしれないな。
　朔哉はそう思い、自分の正直な気持ちと、恋心との狭間で揺れているであろう望をそっと見つめた。
　自分だけのものだという独占欲。
　だからこそ、自分以外の誰かに笑いかけているのを見ると、わけもなく嫉妬する。
　誰にだってあることだ。
　当然、俺にも。
　できることなら、この場から連れ去ってやりたいくらいだ。
　朔哉は手にしていたジュースを飲みほすと、笑顔で望に言った。
「よかった」
「え？」
「これで望が萌子に手を出す心配はないな」
　ニヤリと笑うと、望は慌てたように両手をバタバタと振る。
「えっ、いやっ、そんなこと絶対しませんよ！」
　冗談だよ、冗談。
　そう心の中で言いながら、朔哉は望の肩をかるく叩いて、部屋の中央に向かう。
　背後で、朔哉の言っている意味に気づいた望の「え？」という大きな声が聞こえてきた。



　二度ノックがあって、どうぞと朔哉が答えると、萌子がドアから顔をのぞかせた。
「朔哉さん？どうしたの？」
「ああ。ちょっと」
　萌子は部屋に入ると、部屋の電気についてないことに気づいて、心配そうに朔哉を見つめた。
「もしかして、調子よくないとか？」
「ああ、そうじゃなくて…」
　額に伸びてきた手をそっと掴んだところで、萌子と視線が絡み合う。
　望に触発されてか、あれから朔哉は萌子に、二階にある自分の部屋に来てほしいと伝えたのだ。
　待つこと五分。
　萌子はひとりでやってきた。
　この気持ちをどう伝えればいいんだろう。
　嫉妬して、一人占めしたくなったと言って、萌子から幻滅されないだろうか。
　朔哉がふと不安に駆られたところで、廊下から篤志と思しき声が聞こえてきた。
「朔哉さーん？」
　慌てて朔哉は萌子の手を強く引き、二人で並んで壁に身を潜めた。
　すぐにノックがして、部屋のドアが開く。
「あれ？いないや。ここじゃないのか」
　電気もついてなく、誰も見えないからと、篤志はそう呟くと、さっさと部屋を出て行く。
　篤志の足音が聞こえなくなったところで、ドアの陰に潜んでいた萌子は、ふーっと息を吐くと、朔哉を見上げて尋ねた。
「…いいの？」
「ああ」
　本当に？
　そう言いたそうに萌子は朔哉を見つめていたが、小さく頷く朔哉を見て、納得したらしい。
「あ」
　視線を下したところで、ふと窓の外の様子に気づき、萌子は窓に近づいた。
　そうして窓を開けると、外に手を伸ばす。
「雪」
　掌にふわりと舞い降りて、一瞬のうちに融ける雪を眺める萌子に、朔哉はそっと近づくと、ポケットに隠し持っていたプレゼントを、そっとその首にかけた。
「…朔哉さんっ」
　驚いた萌子が、慌てて朔哉の方に向き直る。
　朔哉はペンダントの金具を留めると、自分の腕の中にいる萌子に答えた。
「萌子に似合うと思って」
　雪の結晶がモチーフのペンダントは、偶然見つけた。
　もっともあの頃は、今日の予定は二人だけで過ごすはずだったけど。
　萌子は喜ぶよりも、戸惑いの方が先に立っているようで、でも、と朔哉に訴える。
「でも、クリスマスプレゼントはいらないって。その代り初詣で御守―」
　確かに萌子の言うとおりだった。
　何が欲しいと聞いた朔哉に、萌子も同じことを口にした。
　しかし、萌子も朔哉も特に欲しいものがないということがわかり、であれば、初詣で御守を買い、それを互いに交換しようという話になったのだ。
「交換しなきゃいけない決まりなんてないだろう」
　そう優しく言う朔哉に、萌子はもう一度、でも、と繰り返す。
「でも私…何も用意してない…」
　俯く萌子に、朔哉はゆっくりと首を振りながらペンダントヘッドの位置を直す。
「いいよ。俺が、萌子にあげたいんだから。
　うん。やっぱり似合う」
　朔哉が微笑むと、ようやく萌子も頬を緩めてペンダントを見つめ、小さな声でかわいいと呟いてから、朔哉を見上げて微笑んだ。
「ありがとう」
「そう言ってもらえることが、俺にとってのプレゼントだよ」
　開け放たれた窓の外からは、階下の喧騒が僅かに聞こえてくる。
　二人だけで、ゆっくり過ごすのもいいけど、
　こうやって一瞬でも、二人で抜け出すのも、いいかもしれない。
　冷たい空気が、いっそう萌子の体温を朔哉に伝える。
　朔哉は萌子の首の後ろで組んでいた手を、萌子の両肩におくと、そっと引き寄せた。
「朔…」
　萌子はそう言いかけたが、大人しく口を、それから目を閉じた。
　その時、部屋に望の声が響いた。
「朔哉さん。すみません、下で―。
　あ」
　人の声がすると、開いていたドアの隙間から中の様子を見たところで、望は思わず足をとめ、声をあげる。
　篤志のやつ、ドアを閉め忘れてたな。
　朔哉はそう思いながら、望に笑いかけると足もとに転がっていたボールをそっと後ろに蹴る。ボールはコロコロと転がって戸にあたって、真っ赤な顔で立ち尽くしている望の前でドアが閉まった。
　これで完全に二人きりだ。
　そう思う朔哉の鼻先五センチのところで、萌子が吐息のように小さく呟く。
「…いいの？」
「ああ」
　とはいえ、この様子だと、あと五分もこうしていられないだろうけど。
　だからこそ、この時を、大切に。
　朔哉は萌子を抱き寄せるようにして、二人は長い長いキスをした。