『一番好きな人と結婚しちゃダメよ、百恵。
　結婚するなら二番目に好きな人にしなさい』
　好きな人と結婚して、だけど浮気ばかりされて離婚した母の言葉が、トラウマになっているとは思っていなかったけれど、実際そうだったのかもしれない。
　男の子にはもてる方だと自覚していたけれど、
　どうしてか、一番好きな人はあたしに振り向いてくれない。
　気がつけば、それがあたしのジンクスになっていた。

　長谷部剛史のことは、最初興味がなかった。
　特別かっこいいわけでもなく、頭がいいわけでもなく、運動神経が抜群でもない。
　よくも悪くも普通の男子。だから、クラスでも目立つこともない。
　だけど、雨の日に、傘がないあたしに持っていた傘を貸してくれて、雨の中を走り去っていく背中を見てから、あたしは彼のことが好きになっていた。
　傘を貸してくれたのは、あたしに気があるせい？
　一瞬期待でふくらんだ気持ちは、けれどあの子の存在で、木っ端みじんに砕け散った。
　桑山桜。
　長谷部剛史の幼馴染。
　見てても馬鹿らしくなるほど初な二人は、けれど幼馴染の枠から抜け出せないからか、お互いの気持ちに気づいていなかった。
　なんでなんだろう。
　何であたしは、好きな人に好きになってもらえないんだろう。
　どうして桜は、好きな人と両想いなのに、それに気づいてないんだろう。
　それが余計にイライラさせられた。
　そしてあたしは思ったのだ。
　忌々しいジンクスを打ち破るためにも、絶対に彼を手に入れるんだって。
　あたしはすぐに、作戦を練った。


「須田くん」
　呼びかけると、須田くんは少しにやけた顔で振り返った。
　須田俊晴は、そこそこにルックスも良くて女子にも人気がある。
　でも、彼をかっこいいという女子でかわいい子はいない。もちろん、わたしもかっこいいなどと思わない。クラスじゃ周りにあわせて須田くんのことほめてるけど、きっとこんなことでもなかったら話しかけないだろう。
　だけど、須田くんは桜と一緒のクラス委員だった。
「桑山さんのこと、好きでしょう」
「え」
　突然の話で、甘い幻想を抱いていたっぽい須田くんの表情は一気に強張った。
　須田くんが、桜と近づきたいからとクラス委員をやっていることは、あたしも気づいていた。
「でも無理よ。桑山さん、長谷部くんのこと好きみたいだから」
「えっ」
　直球で言うと、須田くんの顔が青くなった。
　どうしてあれだけ眺めているというのに、桜の気持ちに気づかないのか。
　まあだから、いつまでも片思いなんだろうけど。
　あたしはにっこり笑って、でも、と話を続けた。
「でも、好きだからって付き合えるわけじゃないものね」
　含みのある言い方に、須田くんは眉をひそめた。
「…どういう意味だよ」
「組まない？あたしと」
　須田くんに言ったのは簡単なこと。
　学園祭の出し物決めの時、クラス委員は桜だけにして、自分は担任と、剛史くんを教室の外に連れ出してほしい。
　絶対に。



　教室はざわついていた。
　少し大げさだったけど、須田くんは見事に担任と剛史くんを教室の外に連れ出した。
　担任には、ホームルームが始まってすぐに、職員室で教頭が探していたと嘘をつき、
　出ていくのを確認すると、わざと机に足をぶつけて、剛史の肩を借りて保健室に向かった。
　残されたのは、どこか不安げな桜だけ。
「みんな、席についてください」
　声を張り上げるけど、誰も桜の方を見てはいない。
「大丈夫かな、須田くん」
「足痛そうだったもんね」
　おしゃべりの声であふれている教室の教壇の前で、それでも桜は必死で叫ぶ。
「とにかく、出し物、決めたいと思います。
　何かいい案ありませんか？」
　その問いかけに、教室の後ろの方から声が上がった。
「えー、何でもいいんじゃん。面倒臭いしぃ」
「っていうか、何もなしってのもいいんじゃん？」
「そうそう、それいい！」
　そう盛り上がるクラスメートに困惑気味な表情を浮かべながら、桜は口ごもった。
「何もないってのは、ちょっと…」
　クラスの中央から、別のクラスメートの声があがる。
「じゃ、お化け屋敷とかは？」
「さわりたい放題だもんなっ」
「ちょっとやらしいよ、男子っってば」
　キャッキャと騒ぐクラスメートに、桜は口ごもりながらも答える。
「それは、別のクラスがやるから…」
　すると、別の生徒が立ち上がって桜に言った。
「何だよ、俺たちの意見、全部却下かよ」
「桑山からは何かないわけ？」
「え…」
「他人から意見だけ聞こうなんてむしがよすぎるんじゃない？」
「でも…」
　クラスの中で、明らかに桜は孤立していた。
　これも実はあたしがちょっと種を蒔いていたこと。
　後ろの方の席の子たちには、学園祭で何もやらないのいいんじゃないのかとか、
　中央の席の子たちには、お化け屋敷っていいよねとはなし、
　あからさまにあたしに好意を寄せていた男子たちには、桑山さんってちょっと真面目すぎるよね、と呟いてみたのだ。
　何も知らない桜は、明らかに挙動不審になっていた。
　いつもだったら、隣には須田くんがいて、女子は彼の言いなりだったし、
　何よりいつも桜を助ける剛史くんはここにいない。
　よし、とあたしは手をあげて立ち上がった。
「ねぇ。出店風の駄菓子屋さんってどうかな。綿菓子とか、ヨーヨー掬いとかやるの。
　夏休みに近所のお祭り行ったんだけど、結構楽しかったよ」
　すると、ざわついていた教室が、一瞬静まり返った。それからみんなが、あたしの意見に頷き始めた。
「出店か、それいいね」
「皆で浴衣着てさ」
　話はそのまま、何を出すのかという話になった時、担任と剛史くんたちが帰ってきて、学園祭の話はそのまま纏まった。
「唐沢さんっ」
　ホームルームが終わると、桜はあたしのところに駆け寄ってきた。
「ありがとう。すごく助かった。本当にありがとう」


　こうして、あたしは桜と友達になった。
　いろんな話をしたけれど、桜は好きな人のことは何も言わなかった。
　じれったくて聞いてみた時も、戸惑いながらもいないと言われた。
　だったらその先の作戦に進もうとしたある日、あたしは気づいた。
「ねぇ、桜ちゃん。それなあに？」
「え？いや、何でもないよ」
「ふーん。怪しいの」
　桜は慌ただしくそれを国語の教科書に入れると、そのまま机の中に入れた。
　あの様子、何でもないわけない。
　休み時間のうちに、確認しようと思っていると、その教科書は、気がつけば剛史くんに手渡されていた。
「なぁに？長谷部くん、教科書忘れたの？」
「ううん。あたしの方が借りてたの」
　ふーんと答えたけど、桜の頬は赤く、何かが動きだしてることに、あたしは気づいていた。
　運よくその日の五時間目が、化学の実験で、あたしはクラスのみんなが教室を出て行ったのを見計らって、剛史くんの机を探した。
　桜が渡した国語の教科書はすぐに見つかった。
　中に入れてあった手紙も。
『話したいことがあります。放課後、校門のところで待ってます。桜』
　うちの学校の校門は、正面にあるくせに、駅から近いのが裏門だからとみんなそっちを使う。
　つまり、校門はあまり人が通らない。
　ピンと来た。
　桜は告白しようと思ってるんだって。
　あたしは慌ててその手紙を抜くと、須田くんに放課後剛史くんに絶対に校門を通らせるなと命令しておいた。
　次の日桜は、一日中顔を俯かせていた。
　

　桜が失恋したと思いこんでいるこのタイミングを、あたしは逃さなかった。
「ねえ、桜ちゃん。長谷部くんって、彼女いるのかな」
　放課後、お茶をしながらそう聞くと、桜は少し顔を強張らせて答えた。
「剛史に彼女？聞いたことないけど」
「じゃ、好きな子は？」
「…さあ」
　更に桜の顔が強張る。
　もしかして、好きな子がいるから、来てくれなかったのだろうか。
　そう桜が思っているのが、ありありとわかった。
　桜をいじめるのが目的だったら、ここでまだ踏ん張るけれど、あたしの目的はそうじゃない。
「じゃ、好きなタイプの子は？」
「…ごめん、わからないや」
　無理やりな笑顔の桜に、あたしは身を乗り出して、真剣に尋ねた。
「あたし…ってどうかな」
　え？と桜の視線が、ふっとあたしに向けられる。
「それって、百恵―」
「うん。長谷部くんのこと、あたし好きなの」
　すっと桜があたしから視線を逸らす。桜のごくりと唾を飲み込む音すら。聞こえてきそうだった。
　ここぞとばかりにあたしは桜の両手を掴んで頭を下げる。
「お願い、桜ちゃん。協力して」
　桜が断れるはずもなかった。
　自分はすでに失恋していて、
　おまけにあたしには大きな貸しがある。
「わかった」
　笑顔を作った桜に、あたしも微笑み返す。
　こうして、桜は、剛史くんへの気持ちを封印することになる。

　
　だけど、剛史くんの気持ちが残ったままじゃ、あたしのジンクスは打ち破れない。
　だから、あたしはまた、須田くんに命令した。
　放課後、担任に呼ばれたからと嘘をつき、二人して歩く姿を見つけた剛史くんに、あたしはこっそりと囁いた。
「桜ちゃん、ほんと須田くんと仲いいんだから。羨ましい」
　うまい具合に桜が笑い、二人はパッと見でも仲が良さそうに見えていた。
　頬をこわばらせながら、剛史くんがあたしに尋ねた。
「…もしかして、桜って。須田のこと好きなのか？付き合ってるとか？」
　失恋と、あたしの告白が効いて、このところ桜は剛史くんとちゃんと向き合っていなかった。
　おまけにこの前の日、桜にあたしのことを剛史くんに聞いてもらっていた。
『百恵のこと、どう？』
　好きな女の子から、他の子の事を聞かれるということは、つまり自分は眼中にないということ。
　それが、剛史くんを余計に不安にさせていたのだ。
　もちろん、これも作戦の通り。
「え？付き合ってるんじゃないのかな。
　あーでも、わからない。桜ちゃんって、恥ずかしがってそういうこと言ってくれないから。
　須田くんに聞いた方が、ちゃんと教えてくれるかもね」
「そっか」
　少しだけ、剛史くんの背中が丸くなっている気がした。
「どうかしたの？長谷部くん」
　あたしはここにいるよ。
　剛史くんのそばに。
　そう剛史くんを見つめたけれど、彼はそっけなく答えるだけだった。
「いいや。それじゃな。唐沢」


　それからすぐに、あたしは告白をした。
　そして、剛史くんはあたしの恋人になった。
　あたしはジンクスに打ち勝ったのだ。
　好きな人と結ばれたのだから。
　そう思ったのに。


「ごめん、やっぱり無理っ、二人で乗ってきて」
　そう言って手を大きく振って、渋々観覧車に乗りこむ二人を送り出す。
　ようやく見えなくなったところで、あたしはため息をついた。
　せっかくの初デートだから、わざわざ桜をつれてくるほどあたしも馬鹿じゃない。
　だけど、そうしなきゃならないわけが、あたしにはあった。
　ジンクスには打ち勝って、剛史くんはあたしのものになったはずなのに、相変わらず桜の存在はあたしを不安にさせていた。
　ふとした時に、剛史くんがぼんやりと考え事をしていると、それが桜のことじゃなのかと不安になったし、
　遠い目をしてるときは、その先に桜がいるのかと思わずどうでもいい話をして、自分の方に振り向かせた。
　不安で仕方なかった。
　だから、あたしは賭けに出たのだ。
　目には目を。
　ジンクスにはジンクスを。
　この遊園地には、有名なジンクスのある観覧車があった。
『観覧車の天辺で、キスしたカップルは、永遠に結ばれる』
　仮に、二人が観覧車でキスをしても、剛史くんと結ばれるのは、このあたしなのだ。
　そう信じたい一心で、あたしは二人を無理やり観覧車に乗せた。
　一人、下のベンチで待ちながら、あたしは手を組んで固く思った。
　剛史くんと結ばれるのは、あたし。
　絶対に。
　絶対に。
　戻ってきた二人を見て、あたしは思った。
　今度はあたしが剛史くんとこの観覧車に乗りこんで、天辺でキスをしよう、と。


　その時は、すぐに計画された。
　自分だけ先にうまくいってと怒る須田くんと、桜というおまけもついてきたけれど、それでも、剛史くんはあたしのものだと思っていた。
　相変わらず観覧車は混んでいて、並びながらあたしは剛史くんと他愛もない話をしていた。
　前には桜と須田くん。
　さりげなく、須田くんが桜を口説いているのがわかる。
　だけど、桜はどうも乗り気じゃないらしい。
　でも、好きな人はもう手に入らないんだから、つきあってみちゃえばいいのに。
　そう思った瞬間、突然剛史くんがあたしの手を振り切って、前の二人の間を割って入った。
「悪い」
「わ、何だよ。長谷部」
　明らかに驚いた須田くんが、軽く剛史くんを睨んだ。だけど、剛史くんはそんな須田くんを無視して言う。
「このまま桜とお前を観覧車に乗せらんねぇ」
　嫌な予感がして、思わずあたしは呼び止めた。
「剛史くん？」
　あたしの声に、剛史くんは振り返って頭を下げた。
「悪い、唐沢」
　言葉を亡くしたあたしを無視して、剛史くんは桜に向き直ってはっきりと言った。
「俺は桜のことが好きだ」
　そうして桜の手を取り、颯爽と観覧車に乗りこむ剛史くんの後ろ姿は、あたしと一緒にいる時よりも、悔しいけれどかっこよかった。そう、初めて好きになった時みたいに。


　颯爽と乗り込む二人を見て、一番慌てたのは須田くんだった。
「えっ、ちょっと！
　桑山さんっっ。
　…どうするんだよ、唐沢さん。二人とも、乗っていっちゃったぜ」
　顔が赤くなったり青くなったりしてる須田くんを見て、小さくため息をつきながらあたしは答える。
「どうもこうも、ないでしょう。
　つまり、そういうことよ」
「え？」
　頭の中に？マークをたくさん乗せて須田くんがそう聞き返す。
　もしかしたら、あたしは人選を間違えたのかもしれない。
　だけど、そんなこと、今思っても遅いのだ。
「あたしたちは、負けたのよ」
　あの二人の想いに。
　この観覧車のジンクスに。
　そして、あたしは、あたし自身のジンクスに。
　小さくため息をつき、あたしは観覧車を見上げた。
　今頃二人は天辺にいて、キスでもしてるんだろうか。
　なんだかんだ言って、あたしってば、恋のキューピットやってたんじゃん。
「バーカ」
　小さくそう呟くと、視界がぼやける。
　観覧車のジンクスは、本当かも知れない。
　だったら今度こそ、好きな人ができたら、すぐにここに来よう。
　…まだ、もうしばらく、かかりそうだけど。