２月１５日は、あたしの部屋では、毎年恒例の行事が行われる。
　それは、前の日のバレンタインデーに日の目を見なかったチョコレートたちとのお別れの儀式。
　かれこれ３年目に突入したこの儀式は、そのままあたしとノブユキの関係が変わらない証でもある。
　親同士が仲が良くて、しかもお隣同士だったから、まるで兄弟のように育ってきたあたしたちだったけれど、それが恋だと気づいたのは、いつだったんだろう。
　それ以来、あたしは義理チョコすらノブユキに渡せなくなっていた。
　そもそもノブユキも、チョコレート嫌いだったから、あたしが渡す、イコールノブユキにとっては嫌がらせだったのかもしれない。
　それでもあたしは、毎年チョコを準備した。
　そして毎年、渡せぬままに１４日を過ごし、次の日にひとり部屋でアントニオ猪木のテーマ曲をバックに、そのチョコレートを食べつくすのだ。
　何故、乙女が猪木のテーマだって？
　それは、唯一ノブユキからもらったものだから。



　でも、今年は違った。
　何が違ったって、チョコが渡せたわけでもなく、
　あたしがノブユキ以外の人を好きになったわけでもない。
　違ったのは、ノブユキだ。



　思えば、あたしのフライングがいけなかったのかもしれない。
　女の子にとって、年に一度の決戦の日が終わるまで、あと三十分。
　三年間も待った反動で、あたしは包装紙をびりびりに破いて、必死こいて作った茶色の塊を、食べていた。
　悔しいけど、これがまた美味しい。
　そりゃそうだ、だって東急ハンズで、一番高級な材料、使ったんだもん。
　あたしが悔し涙を浮かべつつ、あと一口で、今朝までは神様にも仏様にも思えていたチョコレートの祭典が終わるという時に、ノブユキは突然あたしの部屋に現れ、そして今日の出来事を話し始めたのだ。
「それでさ、理子ってばさ」
　理子、というのはノブユキのバレー部のマネージャだ。
　あたしは顔だけ知ってる程度だけれど（それもノブユキがバレー部だから）、結構地味でのんびりした感じの子だ。
　その子が、ノブユキにチョコを渡した。
　その途端、何かが変わったそうだ。
「正直言うとさ、俺は理子のこと、そういう目で見たことなかったわけよ」
　そういう目というのは、女として、ということらしい。
「けどさ、目に涙浮かべて、受け取ってくれって言われてさ。こう、ドキッとしちゃったわけ」
　理子は、部活終わりのノブユキを待ち伏せしたそうだ。
「もしかして、今まで俺にタオル持ってきてくれたりしたのも、そうなのかなって思っちまってさ。思い起こせば、もしかして、ってのがいくつかあるわけよ」
　そういって、ノブユキは指を三本曲げる。
でも、きっとその「いくつか」ってのは、理子にとっては、「数々の」になって、話せば両手両足あっても指が足りないくらいのはず。
ノブユキの鈍感っぷりは、わたしの方がよく知っている。
　ということは、おそらく理子は、本気なのだ。
　ノブユキに。
　ということは、あたしのライバルということになる。
　当然だけど。


「ふーん」
　あたしは、余裕のあるふりをして、そう答える。
　でも、本当は余裕なんかない。
　全然ない。
　これっぽっちも。
　チョコレートを渡した理子と、
　チョコレートを自ら食べたあたし。
　どう考えても、理子の方が、何歩も前をリードしてる。
　しかも、ノブユキは、どこか熱でもあるようなぼんやりとした表情。
　これはまずい。
　相当まずい。
　でも、頑張って作ったあたしのチョコの、あの綺麗なハート型はいまや崩れて、残ったのはひとかけらだけ。
　ああ、なんであたしってば、食べてしまったんだろう。
「…じ…」
　ぽつりとノブユキが何か呟いて、あたしは慌てて顔を上げる。
「何？」
「返事、待ってるって言われてさ、理子に」
　すぐじゃなくてもいいから。
　ホワイトデーまで待ってるから。
　理子がそう言ったんだ。
　ノブユキはそう答えると、深く深く溜息をつく。
「やべぇ」
「何が？」
　そう聞いた瞬間、あたしはまずったとすぐに思った。
　ノブユキは、頭を抱えてつぶやいた。
「実はそれから、理子のことばっか考える」
　やばい。
　これはやばい。
　相当やばい。
　マジで、やばい。
「渡されるまでは、全然そんなんじゃなかったのに…」
　そう呟くノブユキの表情は、どこか色気を感じさせた。
　ちょっと、大人の男って感じ。
　たった一瞬で、ノブユキにこんな表情をさせてしまうなんて。
　理子ってば、魔性の女？
　いやいや、そんなライバルを褒める余裕なんて、あたしにはないってば。
　どうする、あたし。
　どうしたら、一発逆転狙えるの？
　その瞬間、あれ？とノブユキが呟く。
「あれ？お前。これって、チョ―」
　興味深々チョコに手を伸ばしたノブユキと、
　慌ててそれから隠そうとするあたし。
　その距離、五センチ。
　それから先は――。
「わ」
　女の意地だ。
　唇から離れると、ノブユキは真っ赤な顔で、
「な…」
と声にならない声をあげていた。
　あたしは、というと、これでもファーストキスだったのに意外と冷静だった。
　ついさっきまでノブユキの唇と触れていたその唇を、ぺろりとなめると、さっきまで食べていた甘くて苦いビターチョコレートの味がした。
「…チョコレート」
「へ？」
「今日ノブユキにあげようと思ってたチョコレート。
　ギリギリだけど、今あげたから」
　ようやく気づいたノブユキは、自分の唇にふれ、そのチョコを確かめる。
「あたしも、ずっとノブユキのこと好きだったんだから」
　理子よりも、誰よりも。
　ずっとずっと好きなんだから。
　そこが自分の部屋だというのも忘れて、あたしはすくっと立ち上がる。
　そして、背中越しにまだ座り込んでいるノブユキに言った。
「返事、あたしも。
　ホワイトデーまで待ってるから」
　さあ、ゴングは鳴った。
　あとは戦うのみ。