THE FLOWER GARDEN
「夢か現か」
――夢を見ていた。
「日向」
ふいに名前を呼ばれる。柔らかな風に髪を躍らせ、振り返るとそこにはしずかがひとり、いた。
「探してたんだ」
珍しく、しずかはしおらしくそう言う。
「ああ。俺はずっとここにいたのに」
「いなくなったのかと、思った―」
そういって、ほろりと、しずかは一粒の涙を落とした。
だが、その涙を拭うこともせず、じっと俺を見ている。その表情が、泣き笑いになり、思わず俺はそっとその涙を手で拭う。
「ここに、いる。お前のそばに」
「日向」
頬に触れた手を、しずかがそっと触れる。
お互いに見つめあい、そうして俺たちはそっと顔を近づけた。
「あ」
目覚めると、目の前には、いつものように白い天井。
夢、だったのか。
それにしても、妙にリアルに思えた。
そういって、俺は自分の唇に触れる。
そう、しずかの唇と重ね合わせた、自分の。
…夢の中、だけれども。
しかし、どうしてあんな夢を。
俺はゆっくりと起き上がった。そして、大きく伸びをした、その瞬間。
「…っ？」
隣に、女がいた。
長い髪に隠れているが、どうやら身に着けているのは下着だけのようだ。
いやしかし。
昨日は疲れて一人で寝たはずだが。
そのとき、小さなうめき声と共に、女が寝返りをうつ。
その寝顔を見て、思わず日向は声を上げそうになった。
その無防備な寝顔は、先ほどまで夢に出ていたしずかだったからだ。
…どういう、ことだ？
日向は、一人、頭を抱える。
確かに、夢はリアルではあった。
あったけれども、だ。
何となく不安になり、昨夜の自分の行動を思い出す。
昨日は疲れて、一人酒を呑んだ。
それから？
酒を呑んだのは、隣の部屋だ。だが、その先を日向はまったくおぼえていなかった。
…冗談だろう？
酒を呑んでいたとしたら、
記憶がないのだとしたら、
ない話でもないのかもしれない。
否、しかし。
相手は、あのしずか。だぞ？
ちらりと日向は横目でまだ夢見心地のしずかを見る。
夢の中の、あのしおらしい姿が、どうしてか重なった。
まさか、ありえない。
だが、そのとき、
「ひゅ…が」
と、そのしずかの唇から、自分の名前がこぼれる。
いやまさか、でも。
九十九パーセント、ありえない。
しずかはまた寝返りをうち、再び日向に背を向けた。
どう、すべきだ？
このまま、起こして、事情を聞くか。
それとも？
「うぅーん…」
しずかがゆっくりと伸びをした。もうじき目が覚めるようだ。
否、ここは。寝たふりをして、しずかの反応を見たほうがいい。
日向はそう決意すると、シーツに再びくるまった。
「うーん…」
しずかは大きく伸びをして、そうしてゆっくりと目を開けた。
だがその表情はどこか浮かない。
…最悪な夢だ。
そう小さく呟いて、しずかは苛立たしそうに目を瞑る。
夢の中、しずかはどこか、草原のようなところにいた。
「しずか」
そう名前を呼ばれる。心地よい風に揺れて顔につく髪をふりはらいながら、しずかが振り返ると、そこには息を切らせた日向がいた。
「日向…」
どうしたんだ？という前に、日向は一瞬、泣き出しそうなくらい弱い表情を見せたかと思うと、あのひどく幼く思える笑顔を浮かべた。
「お前を、探してた」
そうして、また一瞬だけ、表情を曇らせる。いつも、感情を表に出さない日向が、いやに素直に思え、しずかは戸惑いながら答えた。
「あ、うん。ごめん、ちょっと、さ」
「よかった」
「へ？」
「お前がいなければ、俺は…」
その答えの先をいう前に、日向はじっとしずかの瞳を見つめた。微かに潤んだ日向の瞳を前に、しずかは思わずすくむ。
そして、日向はじっとその瞳を閉じると、ゆっくりとしずかに近づいた。
しずかもまた、戸惑いながらも、同じように瞳を閉じた。
できるのであれば、忘れてしまいたい。
いくら夢であっても。
しずかは頭を抱えて、そう思った。
だが、どうしてもあの柔らかい唇の感覚が、しずかの体に残っていた。しずかはふいに唇に手を当てる。そっと触れてみるが、日向の唇とはまったく異なる感触だった。
妙に、リアルだったんだよな。
…まさか…。
けっけどっ、そんなこと、ありえないっ。
あるわけがないっ。
あたしと、日向が、キスするなんてっ。
絶対、絶対っ！ありえないっ。
しずかはそう思い、マットレスを強く叩き、起き上がった。その手の先に、ふいに何かが触れた。
へ？
振り返ると、そこにはシーツにくるまった日向が眠っていた。
「げっ。なんでお前がいるんだよっ」
しずかのその叫び声に、日向は今まさに目覚めたかのような表情を浮かべ、大きく伸びをすると、そのまま上半身を起こした。
「それはこっちの台詞だ。第一、ここは俺の部屋だ」
日向にそう言い返されたしずかは、慌てて周囲を見回す。
げ。
確かに、自分がいるのは、日向の部屋である。
冗談だろ？
呆然としているしずかに、日向はさりげなく声をかける。
「まあいい。とにかく服を着ろ」
言われたしずかは、初めて自分の格好を見て、叫び声を上げた。
「うわっ」
慌ててシーツを手繰り寄せ、下着を隠す。そして、真っ赤な顔で日向をにらみつけた。
てめぇっ。
そう叫ぼうとしたところで、日向はすかさず言い返す。
「言っておくが、俺じゃない」
「じゃあ、お前は何で服着てないんだよっ」
恥ずかしさでしずかはきちんとは見れないものの、シーツに包まる日向は何も着ていないようだった。
「俺は寝るときはいつも服を着ない」
平然とそう答える日向に、しずかも負けじと答える。
「それはっ、あたしだって、そうだっ。あたしだって―」
一枚のシーツを挟んで、今まさに喧嘩が始まろうとしたところで、ノックもなしにドアが突然開かれた。
「隊長っ、大変ですっ」
「日向さまっ、姫がっ。しずかさんがっ」
ドアの向こうに顔をだしたのは、相川と蓬。
だが、次の瞬間、ふたりは「あっ」と大声を出し、揃って顔を赤らめた。
そして、
「しっ、失礼いたしましたっ」
「すみませんっ」
と叫ぶと、壊れそうな勢いでドアを閉め、ドタドタと足音を鳴らして部屋を出て行った。
「ふぅ」
日向は大きく溜息をついた。
後で、事情を話しておかねば。
だが、その前に。
この姫君を、どうやって説得させるかの方が先、だな。