THE FLOWER GARDEN

「予言」

「はぁ」
と思い切り、しずかは溜息をつく。その溜息が、そよかぜと共に、あたりの草花を揺らす。
　珍しい風景ではあるが、この草原では、誰もそんなしずかに驚き「どうかしたのですか？」などと声をかけてくることもない。
　実際、ついさっきまでの貴丹舎で、しずかのついた溜息は、周りの人間の注目を集めた。
　たかが一度ついただけで、その場に居た人間が、びっくりした表情でしずかを見つめ、いっせいにその口を開いたのだ。
「どうかしました？姫」
「また日向様と喧嘩でもなさったのですか？」
「それとも、お体の調子が良くないとか？」
「変なものをお食べになったのでは？」
「もしや、他の組の差し金？」
　蓬と相川に、石崎が加わって、話はややこしくなり、しずかは思わず、
「うるさいっ、黙れっ」
と三人を怒鳴りつけると、貴丹舎を飛び出したのだった。
　

　あてもなく彷徨って、たどり着いたこの草原には、誰一人いなく、深い緑に包まれていた。
「はぁ」
　再び溜息をつき、しずかは腰を下ろす。
　別に腹の調子が悪かったわけでも、日向と喧嘩をしたわけでもない。
　誰のせいでもなかった。
　ただ、わからなかったのだ。


　好き、なんだろうか。
　あたしは、有世が。
　そして、好きなんだろう。
　雅は、有世を。
　だとしたら、あたしは。
　あたしは、どうしたらいいんだろうか。


　ふと、視線を馳せると、そこには白く小さなマーガレットが咲いている。
『悩んだら、花に聞いてみるとよいですよ。花はいろんなことを教えてくれますから』
　いつか話していた蓬の言葉を思い起こし、しずかはそっとマーガレットを一輪取る。
　花占い。
　オーソドックスではあるが、この方法が、一番はっきりわかる。
　結果、あたしが、有世を好きじゃなかったら、あたしはすんなり有世のことを忘れられる。
　そうして、雅のことを応援する。
　でも…。結果、『好き』だったら？
　その先を考えるのが一瞬怖くなったしずかは、首を大きく左右に振ると、思い切って、花びらをちぎり始めた。
「好き…。好きじゃない…」
　花びらが、一枚、一枚散っていく。
　そのたびに、しずかは有世の笑顔を思い出し、雅の強い視線を思い出す。
　そのたびに、しずかの胸は苦しく、締め付けられる。
「好き…。好きじゃない…」
　あと、四枚、あと三枚、あと二枚…。
「…好き」
　そうして、しずかの手元には、一枚の花びらだけが残った。
　――好きじゃない？
　手が止まり、思わずしずかは息を呑む。
　あたしは、有世を、好きじゃない？
　その言葉が、しずかの中で、滞る。
「あ」
　だが、次の瞬間、ふいに伸びてきた手が、その花を捕らえると、ぱっと最後の一枚の花びらをむしった。
　そして、優しい声が、しずかを包み込むようにその耳元に響く。
「好きじゃない」
　しずかは慌てて振り返り、そこで息を呑む。そこには、いつもの有世の笑顔があった。
　そして、有世はにっこりと微笑むと、花びらがなくなり、茎だけになったマーガレットを持ち、
「好き」
といって、そっと空に放り投げた。
　花が空を舞い、地に落ちるのを見届けたしずかは、ゆっくりと有世に向き直る。
　だが、思うような言葉が出てこなかった。
　黙りこんだしずかに有世は微笑みかけると、ゆっくりと隣に座り、しずかの顔をのぞきこみながら話しかける。
「何を占っていた？」
「え、っと。いや、わからなくて。…自分の、気持ちが」
　正直に答えてから、しずかは顔を真っ赤にする。
「あ、いや。その。ごめん、日本語、変だよ、な」
　だが有世は首を左右に振って、再び足元のマーガレットを一輪手にとって答える。
「そんなことはない。
　人は誰しも、相対する気持ちを抱え、自分の気持ちが見えなくなるときがある」
　恥ずかしさから、有世から視線を逸らしていたしずかだが、そう言われて、思わず有世の顔を見つめなおした。
　すると、その視線に気づいた有世は、手の中のマーガレットをしずかに差し出して、いつになく強い口調で言った。
「だが、しずかの気持ちなら、とうに決まっている」
　え？と答えながら、しずかはその花を受け取る。花を受け取る瞬間、微かに有世の手が触れる。
「答えは、『好きだ』ということだ」
　手が触れ合った為なのか、それとも有世の言葉でか、しずかは思わず花を地面に落としてしまった。
「けど、花は―」
「占いなどしなくても、わかる。占うこと自体が『好きだ』という答えなのだから。そうではないか？」
　好き。
　その言葉を、しずかは心の中で繰り返す。
　すると、今度は、しっくりとしずかの中に入っていった。
　そう、答えは、はじめから、わかっていたんだ。
　雅の自分を睨みつける視線が、痛かった理由も。
　それを真っ向から受けることができなかった理由も。
　自分の気持ちは、もう決まっていたのだ。
　ただ、雅と対立するかもしれないことが怖かっただけ。
　それが、自分の意志であることを、認めたくなかっただけなのだ。
　呆然と草原を眺めているしずかに、有世は落ちた花を拾い上げて、再びしずかに渡す。
　しずかも、今度はきちんと受け取る。
「ありがとう」
　素直にそう答えると、有世は再び微笑んだ。
　それはまるで、春の陽だまりのようで、あたたかかった。
　どきり、とする一方で、そうしてしずかは罪悪感に襲われる。
　ごめん、雅。
　ごめん。
　このしずかの想いが、二人の仲を、更に引き裂くことを、しずかはわかっていた。
　また、それを雅も望んでいることも。
　そうしてでも、雅は有世を手に入れたいと願っていることも。
「ところで、しずかは何が『好き』かで、悩んでいたんだ？」
「え？」
　いきなり有世にそう言われたしずかは、思わず突拍子もない声を上げる。
「いや、そのっ。つまり」
「つまり？」
　有世は、きょとんとした表情で、ただ純粋にしずかの答えを待っているだけだ。
「なっ何でもないっ」
　しずかはそう叫ぶと、赤い顔のままで立ち上がり、それじゃ、と答えると、そそくさと、有世の前から逃げるように駆け出した。
　有世は、そんなしずかの後姿を見つめながら、しずかが忘れていった花を手に取り、そっと微笑んだ。