乗り込んだ瞬間、私は変装用にかけていた眼鏡をはずして大きくため息をついた。
　どうして、あんな賭けしちゃったんだろう。
　売り言葉に買い言葉。
　子ども相手に情けない。
　冷静に考えたら、もっと方法はあったはずなのに、
　真っ向勝負を受けてしまうなんて。
「あんな賭け、するんじゃなかったって？」
　目の前の少年は、そういってにやりと大人びた笑みを浮かべる。
　見抜かれてしまったことと、その笑顔にどきりとしたことが悔しくて、私はふんと横を向いた。
「だから言ったじゃん。俺、本気でいくからって。
　だいたい亜香子（あかね）は、俺のこと甘く見すぎなの」
　だって、相手は12歳も年下の、生徒なのだ。
　そして、私はその教師。
　…いや、ちょっとまて。
　その前に。
「人の名前を呼び捨てにしないでって言ってるでしょう」
「でも間違ってないだろ。亜香子は亜香子だし」
「年上だし、曲がりなりにも教師だし、敬意を示しなさい、敬意を」
　火花が散ること数秒。
　降参とでも言うのか、彼は両手を上げた。
「じゃ、亜香子サンで」
　サン付すればいいってわけじゃない。
「深月先生でしょう。赤平仁君」
「だけど、ここは学校じゃない」
　いかにも、ここは観覧車の中。
　この空間にいるのは、私と彼の二人だけ。
　余裕たっぷりにやりと微笑むその表情に、またどきりとする。
　あー、悔しい。
　どうして29歳の私が、17歳のガキになんか、ドキドキしなきゃなんないのだ。
　悔し紛れに私は横をぷいっと向いた。
　後悔しても始まらないけど、もう二度と赤平との賭けにはのらないことを、深く私は心に刻む。
　でも、言わせてもらうけど、無理だって思ったんだ。
　今度の試験で、学年トップを取るなんて。
　そりゃ、赤平はどちらかといえば頭がよくて、英語なんかは抜群だけど、例えば世界史は苦手だし、生物だって平均点くらい。
　でこぼこだから、トップなんて無理と思ったから、
　もし今度のテストで学年トップとったら、赤平の言うことを何でも一つ聞くって賭けにも乗った。
　なのに、その賭けに負けたのは、残念ながらこの私。
　おかげで休日、この遊園地でデートすることになってしまった。
　教師と生徒。いわゆる禁断の恋。
　だけど、赤平は秘めるどころか堂々と私に告白をしてきた。
　戸惑っているのは私の方だ。
　赤平は、ぴっちぴちの男子高生。未来も明るいイケメンタイプ。
　一方の私は、負け犬街道まっしぐらのがけっぷち女。
　どう考えても、大きい魚。
　一生にそう何度とない大チャンス。
　だけど、忘れちゃいけない。
　私たちの関係は、教師と生徒。
　揺れるオトメゴコロを知る赤平は、そんな私にそれいけとばかりに情熱的に愛を語る。
「っていっても、実は俺、結構がんばって勉強したんだぜ」
　ぽつりと赤平の声が背中越しに聞こえてくる。
　クールさは赤平の売りのはず。
　だから、意外だった。
　そもそも、赤平の願いが、遊園地に行くことって聞いた時も、私は思わず構えていたファイティングポーズをがくっと崩してしまったくらいだったけど。
　本性的には、一泊旅行とか、あるいはご褒美のキスとか、強請りかねないキャラなのだ。
「だって、この観覧車にどうしても亜香子と乗りたかったんだ」
　すねるように言うのも、珍しい。
　ってのも、あまりに私が年を気にするせいなのか、いつも赤平は必要以上に大人ぶって私と対等であろうとしている。
　…言い過ぎたかな。
　そうはいっても、相手はまだまだ高校生の子供なのだから。
　ちょっと反省した時に、つんつんと頬を指が突いた。
　仲直りしたいってことですか。
　仕方ないなあ、と振り返った瞬間、私は凍りついた。
　目の前には、赤平の整った顔。
　しかも、唇に柔らかい何かが…。
「ちょっ…っ」
　殴りかかる寸前に、赤平は私から素早く離れる。
　してやったりの笑顔だ。
　一方の私は、どういう顔を作っていいのかわからず、明らかに動揺してしまっていた。
「何、すんのよ」
　それで精一杯の私に、赤平は今さっきまで私に触れていた唇を開く。
「何って大人の女ならわかってるだろ。キスだよ、キス」
「そう言うことじゃなくてっ」
「好きだから」
「だからその前にっ」
　不意打ちみたいなキスしてくるなっって言ってるの！！
　真っ赤な顔で言い返す私に、赤平はしれっと答える。
「だって、亜香子って、意地っ張りだし、おまけに妙に大人ぶるし、素直じゃないし」
「だからって、隙を突くなんて卑怯よっ」
「どんなになじられてもいい。俺だって、せっかくだからほんとはもっと情熱的なキスしたかったけど、まあ、それは今度にとってくとして。
　あー、長い道のりだった」
「道のり？」
「素直じゃない亜香子が、ガードを緩くして、俺のデートにつきあってくれて、かつ二人きりになれる場所を探すところから、大変だったんだぞ」
「はい？」
　そりゃ、赤平の言う通りだ。
　遊園地と言われて、可愛い場所を指定するなぁなんて、思わず素直に受け入れてしまったし、
　だけど人目につきたくないからって、観覧車に乗りこむのも、むしろ大歓迎だった。
　もしかして、赤平の罠に嵌められてたの？私。
「無事、目的達成できたし、まあ上出来だな」
「目的？」
　ふふふと不敵に笑った後、赤平は今日一番の衝撃の事実を発表した。
「知ってる？ここの観覧車、天辺でキスしたカップルは永遠に結ばれるってジンクス」
　なんと？
　聞いたことないし。
　あ、だから、ここの観覧車、異常にカップル率が高かったわけ？
　あれ？
　でも今なんつった？
　天辺で、キスしたカップルは、永遠に、結ばれる？
　慌てて辺りをきょろきょろと見回すと、窓の下には先を行くはずの観覧車の屋根。
　上っていたはずの観覧車も、気づけばゆっくり降下している。
　つまり、さっきの私たちは、まさしく観覧車の天辺で、キスしてたってわけ？
　こめかみあたりがひきつる私に、それでも彼は得意げに言う。
「つまりはさ、逆を言えば、亜香子が俺以外の男と付き合っても、永遠に結ばれることはないってわけ」
「なっ」
　なんですとー！！
　確立なんて１パーセントもないけど、もしも何かの手違いで、タッキーと結ばれることになっても、いつかは別れるってこと？
　赤平はにやりと笑う。
「だから亜香子は俺のこと、甘く見すぎなんだって」
　宣戦布告のこのセリフ。
　だけど、赤平の瞳が、甘く揺らいでそれが愛の告白であることも告げている。　
「覚悟しといてね、センセイ」